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八重山ブログ『やいまNEWS』

石垣市議会議員選挙告示

2010.09.05(日)

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 9月5日、石垣市議会議員選挙の告示。定数22に対し34人が立候補。元職1人と新人14人が現職19人と票を引き寄せ、切り崩して初当選をねらう。
 有権者数は、今回も増加傾向で前回より1412人多い3万6399人。八重山では移住ブームがあり石垣島の人口増加傾向は揺るぎなく続いている。なかでも2004年から2005年にかけて900人増えるなどしており、かつて1999年には3万1120だったものが、移住ブームを経て約5000人が増えている勘定。この5000がどう新人へ流れるのか。あるいは現職が吸い寄せるか。今年3月の市長選挙では、浮動票と公明票がきっちり保守の新人へ集まって新市長が誕生した。革新陣営は組織票に依存して浮動票への配慮を怠った。いわば前市長が起こした女性問題への対応を、前市長をかばうあまり、革新陣営がこぞって軽視したことが大きい。これがなお引きずるか否かが、今回の市議選の注目点。あまりに長い与党時代を、目立つことなく16年間歩んできた元与党議員で現野党議員ら。新市長の施政方針演説への追求がうやむやになったことが、どう出るかも注目される。市民のその判定が、この選挙に出る。もともと石垣島にはきっちり保革2つに別れる白黒闘争の政治風潮がある。これに浮動票が動いてくる。いうなれば、どれだけ浮動票を意識して票を上乗せできるかだ。
 これまで親籍選挙と揶揄されがちで、立候補者の定番化が目に余っていたが、最近の候補者の乱立は、その反動もある。これに浮動票への意識が立候補者の中に色濃く出てくれば、親せき選挙から一歩前進となろう。
 今回、八重山青年会議所がインターネットで候補者の紹介のページを立ち上げた。しかし、その場にあえて情報を出さない立候補者が出ている。これはある種、現状で浮動票がどんなライフスタイルにあるかに無頓着であることを意味する。彼らはインターネット世代である。もはや、取り返しのつかない状況を、彼らは作ってしまったといえる。親せき、縁故、同級生を集めた数に、どれだけ浮動票が乗せられるか。そこにかかっているともいえるはずなのに、新時代に無頓着ではまず現職らの厚い壁は割れない。かくして浮動票が動いて投票率が上がれば、現職は厳しくなるが、浮動票が関心を持たずに投票率が落ちれば現職有利となる構図はどこも一緒だが、今回は特別顕著になる模様。新市長が生まれて、浮動票持つ人には関心がないはずもなく、そこに民主党の党首選挙がニュースで取りだたされて、意識はどう影響するかだ。
  立候補者は、現職が後原保一(63)、池城孝(63)、石垣亨(47)、今村重治(57)、伊良皆高信(50)、上門孝子(59)、大石行英(59)、大浜哲夫(66)、小底嗣弘(61)、崎原吉正(55)、砂川利勝(46)、平良秀之(40)、知念辰憲(55)、桃原克己(49)、仲間均(60)、仲嶺忠師(41)、前津究(38)、松川秀盛(62)、宮良操(54)。元職が石垣三雄(62)。新人は新垣重雄(62)、石垣涼子(38)、内野篤(43)、我喜屋隆次(33)、崎枝純夫(55)、砥板芳行(40)、通事隆一(68)、照屋寛文(49)、友寄永三(49)、仲宗根朝輝(69)、長浜信夫(54)、福島英光(51)、箕底用一(29)、宮良安彦(51)の計34人。
 7日には竹富町と与那国町でも町議会議員選挙の告示がある。
 


 

 今年も日本最大のドングリ結実

2010.09.04(土)

  この時期、八重山の山岳部ではオキナワウラジロガシの実がなっている。地元では、オキナワウラジロガシの実は若い娘には見せるなと言われている。実を見れば、なるほどと思わない男はいない。確かに似ていると誰もが感心させられる。(写真にすると大して似て見えないかも)ただのドングリだが、このドングリは、日本一大きいことで有名だ。サイズが大きくなると、似て見えてくるものがコレだとは、誰が想像できるか。ドングリは昔、食糧にした地方もある。タンニンが効いて渋いためにそのままでは食べられないが、いまほど食べられるものが多くはなかった時代なれば、大事な冬の食糧だった。昔から秋の風物詩として、巨大ドングリを見てきた人々は、男が山の幸で女が海の幸という、うまくできすぎた神の造形を、どうとらえていたものか。


 

ミサゴがホバリングして魚ゲッツ

2010.09.03(金)

 9月3日午前10時頃、新川川河口でミサゴが海にダイブして獲物を捕食しているのが見られた。通常、魚を捕獲すると持ったまま、山間部へ飛び去り、食べるところは見られないのだが、この日は岩に舞い降り、魚を鋭い爪で押さえ込んで周囲を睥睨するように、見回す様子が見られた。


 

4日に竹富町のミニバスケットボール交流会

2010.09.02(木)

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 9月4日に竹富町の各離島の子供達が石垣市総合体育館メインアリーナでミニバスケットボールの交流大会に参加する。
 日頃、各離島でスポーツ少年団に加わり切磋琢磨する子供達が離島の壁を越えて、一堂に会する機会を持もの。海を渡って、同じ竹富町の生徒らとスポーツに汗するイベントだ。
 チームは7つ。ミニバスケットは学校授業でも実施している競技であることから、各学校には指導者おり、各離島で広く馴染みのある競技。よって、この交流大会はこの競技で取り組まれてきた。
 スポールを介して、各離島の子供達が交流し、また互いに切磋琢磨するライバルを意識することで、練習への集中力と競技の技への向学心を促進させるために実施。
 波照間島からは前日に石垣入りするほか、残る6校は、4日当日の始発便で石垣島入りする。海に隔てられた竹富町だが、拠点石垣島の施設を有効活用しての取り組みだ。
 開会式は9時半。この機会に石垣島の親類縁者が結集して温かい声援が子供達を包めば、拠点都市石垣島の良さが具現?。


 

秋を告げる使者ツメナガセキレイ飛来

2010.09.01(水)

 9月1日、新川の水田地帯の農道でツメナガセキレイが虫を捕食しているのが見られた。ツメが長いのが特長。極地を除くユーラシア・アフリカ北部・アラスカ北西部で広く繁殖。日本では北海道で夏鳥として繁殖する。南西諸島では越冬する。これから冬鳥が続々現れる模様。愛鳥家には楽しみな季節に入る。


 

僕の名前は「ピカリャ〜」

2010.08.31(火)

 8月31日午前11時から竹富町役場の町長室で竹富町マスコットキャラクターの名前の発表おこなわれ、「ピカリャ〜」に決定。そう、あの伝説の「やまぴかり」からの命名です。
 これは、8月1日から25日まで竹富町マスコットキャラクターの名前が募集され、8月27日に選考がおこなわれたもの。全国から980件の応募があった中、「タケちゃん」が最も多かったが、他府県にも同名のゆるきゃらがあることから却下され、竹富町観光協会青年部の厳正な審査の結果、石垣市の西仲野正巳さんの「ピカリャ〜」に決まったもの。西仲野さんは、マスコットを観てすぐ「これは大きくてヤマネコ以上のサイズ」に感じて「ぴかりゃ〜」が思い浮かんだという。西表島に残る伝説の豹「やまぴかり」からきているのは竹富町の誰もが知るところ。古老によれば背負ったときに足が地面についていたと、そのサイズの大きさが語られたてきたが、10数年前にも海岸についた足跡らしきものの目撃証言があるも、確証なく、幻扱いされている西表島の幻の動物だ。
 幻の復活に、島人からの関心は高くなりそうだが、着ぐるみ自身はイリオモテヤマネコであるだけに、そんな名を持つヤマネコといったところ。好物はバナナで趣味は寝ることと、面白い想定のゆるきゃらだが、大きな姿からか、まだ子供が走り寄る光景は観られていない。近々、竹富町のイベントで住民へお披露目する予定とか。
 
 


 

防災グッズ展示で災害への備えアピール

2010.08.30(月)

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 8月30日から石垣市役所玄関左で防災週間に合わせて防災パネル展が開催されている。
 展示されている写真はまだ記憶に新しい新聞社の災害写真。2006年13号台風では、長いところでは一週間以上の停電を味わい、それでも仕事や家族・親族への配慮で東奔西走した。被災当時の市民の意識を喚起する形が観られないのは残念。しかし、唯一防災グッズは気になるもの。八重山では大津波のような大災害や、瞬間風速70mを越える台風など、ライフラインがズタズタにされる可能性は、十分実感している。ただ、備えるきっかけがなかなかつかめないだけ。


 

八重山戦争マラリア遺族会による避難所めぐり

2010.08.29(日)

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 8月29日午前9時から八重山戦争マラリア遺族会と八重山平和祈念館との共催で八重山戦争マラリア遺族会平得真栄里避難所めぐりがおこなわれた。
 戦争マラリア犠牲者の最も多かった旧大浜町の平得・真栄里の住民が避難した場所をめぐって、当時の状況を経験者から証言してもらうもの。この日、27名の市民が参加して、めぐる場所が5カ所の予定が9カ所に増えても、熱心な参加者はノート片手に最後まで避難場所をめぐって証言者の話す内容をメモしていた。同遺族会では毎年1回、この避難所めぐりを実施する予定で、次回は来年開催。白保出身者の意欲的な参加から見て次回の避難所めぐりは白保になるような・・・。
 八重山戦争マラリアというと即「白水」と思う人が大半。ところが白水は四ヵ字の人の避難所で、島の各字でそれぞれ指定された避難場所が存在する。なかでも平得・真栄里地域のもっとも犠牲者が多かった場所。彼らの避難所は、平得山田(さんだー)、大田原、武名田原、三和など、広範囲に広がる。
なかでも於茂登岳の水源地・武名田原が軍から指名された公式な疎開先。真栄里ダムの上流に当たる。大浜集落から遠いために、そこへ至る手前の自分の畑に、大浜の人は避難した人がほとんどだったという。


 

 


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