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やいまスターインタビュー

伊波敏男


私の中で変わったことは、「人は信じてもいいんだ」ということです。
分かってくれる人がこんなにもいたんだと。

 10月4日に石垣市民会館中ホールにて八重山ライオンズクラブ主催で開かれた文化講演会で、「病み捨てにされた人たち」と題した講演をなさった作家でありハンセン病体験者である伊波敏男さんにお話を伺いました。

―今回の講演会のいきさつについて教えて下さい。

伊波
 おととし初めて八重山商工高校で高校生向けに講演会をしましたが、その時中心に動いてくれた人たちが「ぜひ一般の方にも聴かせたい」といってくれて、今回またこうして呼んでくれたんです。

―八重山の印象はどうでしたか。

伊波
 2年前に初めて来たときに感じたのが、「私がかつて見たことのある風景だな」ということでしたね。沖縄本島には今はもうない風景というか・・・。

―ところで、八重山にもハンセン病患者はたくさんいたのに、なぜ本島や宮古のように八重山にはハンセン病の施設がないんでしょうか?

伊波
 それには歴史的ないきさつがありまして、実は1917年に西表島にも国立のハンセン病療養所をつくる計画があったんですけど、それを知った住民の猛烈な反対にあってとん挫したんです。沖縄は全体的にハンセン病の発病者数は多いのに、療養所建設への反対が強かったんです。人々は病気への恐れと同時にそれを隠してしまおうとしたんですね。

―講演の中で、著書の『花に逢はん』という題について「花とは私にとって人のことで、花に逢はんとは人との出会いを意味している」と話しておられましたが、今回の八重山でも、人との出会いはありましたか。

伊波
 はい、ありましたよ。八重山に行く2〜3日前に鹿児島の療養所に寄ったんですが、そこで私が八重山に行くと話したら、中の1人の方が同級生に『ぜひ講演を聞きに行ってほしい』と電話したそうなんです。講演後すぐに、その方に『聴いてきたよ。君はあんな思いをしていたのか』と非常に興奮した電話が入ったそうです。それを聞いて、私の個人的なことだけでなく、いろんな場所で新しい形で人との出会いがあるんだなと感じました。

―講演後に寄せられた反応には他にどんなものがありましたか?

伊波
 もっと聴きたかったという声ですね。あと、個人的に聴きたいことがあるという人が何人かいて、きっと身近に体験してきた人ではないかなと感じました。

―こうしてハンセン病の啓蒙活動を続ける中で、伊波さん自身の気持ちの変化はありましたか?

伊波
 30年前から私の今のスタンスは変わっていないんです。らい予防法が廃止されたのも、当たり前のことがやっとなされた、という気持ちでした。私の立場は、体験者として亡くなった人たちの思いを代わりに伝えるというものです。そして私の話を聞いた人がまた別のところでこのことを伝えていくといいですね。でも、私の中で変わったこともやっぱりあって、それは「人は信じてもいいんだ」ということでした。それまで苦しみを人に伝えても決して分かりっこないと思っていたのが、分かってくれる人がこんなにもいたんだという思いに変わりましたよ。

―今後の予定を教えて下さい。

伊波
 私がこの頃感じているのが、「少数者としての視点」です。それに、私の出身地である沖縄の文化や精神風土の問題から逃げられないなとも思います。それで私の中にある沖縄の問題を今書き始めています。今度はハンセン病から少し離れて三線をテーマにする予定です。

(情報やいま2000年11月号より)

伊波敏男(いはとしお)プロフィール
1943年南大東島生まれ。14歳でハンセン病発病後、ハンセン病療養所・沖縄愛楽園で生活、その後、鹿児島や岡山の療養所での治療を経て全快。
社会福祉法人東京コロニーおよび社団法人ゼンコロ常務理事をつとめたあと、現在は長野県に住み、全国各地で講演活動を行っている。著書に自らの半生を綴った『花に逢はん』(沖縄タイムス出版文化賞)『夏椿、そして』がある。

 


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