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やいまスターインタビュー

新城知子、音絵

− 新城知子、音絵二人会 日本列島縦断公演 −
新城知子、新城音絵

昨年、アトリエ游を中心に八重山舞踊公演「游舞台」を行ってきた二人が、5月24日の宮古島を皮切りに、北海道斜里町まで、全国17ヵ所、実に40日間をかけて出前公演を行った。各地で温かく迎えられ、辛いことなど微塵もなかったという。

―全国縦断公演を行ったきっかけは?

知子
 アトリエ游が動き出して2年が過ぎました。去年、1年間は八重山芸能「游舞台」を行ってきましたが、八重山に旅行でいらして、游舞台に足を運んで下さった方に、「八重山の踊り」を私たちの所でも出来ませんか?というお声掛けをいただいたんです。では、今年は自分の足で歩いてお届けする旅をしたいなと、出前公演(笑)をしようということになりました。私の「八重山を語る」方法は踊りなんです。アトリエ游でみなさんが足を運んで下さるのをお待ちするのも、自分の足でお届けに上がるのも、発表の場の舞台のあり方だと思っています。

―公演先の開場が全て同じというわけではありませんよね。土地が変わると、内容も変わりますか。

知子
 土地が違うと舞台のかたちや寸法が違う。その日いただいた舞台に、自分をどう入れていくか、どう入れることができるかで、どうお話ができるかということになる。

―舞台を行う側としても、毎回変わっていったんですね。

知子
 土地の空間と劇場は、行って初めてみるものだから。着いたときに、早くこの空間に慣れよう、という想いがあります。自分を置いたとき、精神的、肉体的にもそこの空間に慣れ、お友だちになっていると、お話することがいい状態でできる。踊りというのは、足を運んで下さった方に体を使ってお話をすることですよね。ですから出から動きが毎回違う。そういうのも新しい、本当に動いてみて初めてできた勉強でしたね。

―公演先での反応は?

知子
 各開場の雰囲気も違います。初めてという方がほとんどで、お話をうかがうと、合いの手を入れると失礼では、というようなことが観客側にはあったようです。

―最終公演地の北海道の斜里町は、竹富町の姉妹都市ですよね。

知子
 斜里の方は本当に温かくてね、本当にキョウダイシャーですよね(笑)。竹富町のことを本当に思ってくれていることがすごかったです。

音絵
 本当にただ者じゃない歓迎ぶりだったんです。

―縦断公演で得たものは?

音絵
 舞台が終わった後は私たちがいちばん元気なときなんですね。観て下さった方から、確かなパワーを頂いてる。私はやっぱり八重山も、舞台も好きなんだなって。八重山の踊りをお伝えしに、八重山とは違う地に自分が入り込んだとき、自分の身体の反応や想いの変化など、自分との新しい出会いがありました。

知子
 今回のご縁が次のご縁を生み、輪が広がっていく。それは、じっとしているだけではいただけなかった舞台、めぐりあい、出会い…。ですから、そういうことも含めて今回は、とても大きなものをいただけたツアーだったと思います。そして現在、次の出前公演のかたちが動き始めています。

―これからも続けていくのですか?

知子
 私たちが舞台をしたい、そして相手も望んでいる。波調があったとき、たとえそれが一人でも、千人でも舞台をつとめる気持ちは同じですので、そういうご縁があれば、どこへでも行きたいと思っております。

音絵
 出発前は40日って長いな、と不安でしたが、踊りが好きなんですね。舞台がない40日の旅行は、耐えられないと思います(笑)。自分が好きな舞台の世界で、八重山の風をいろんな所にお届けすることが私に与えられているならば、それはすごく幸せなことなんだな、と感謝しています。だからまずは続けることですね。

知子
 みなさん気を遣って「大丈夫?」などと声をかけて下さった。本当にみなさまの暖かいお心で続けてこれた。できるだけ、これからも続けていきたいと思いますね。

音絵
 私は行きたいんです(笑)、明日にでも(笑)。

知子
 彼女の方は私よりも若いですから(笑)、荷物も持って衣裳も担いで、それで動ける間は毎年続けたいですね。今年で終わりという単発的なものではなく、またやりたいという気持ちがあります。  八重山をご存じでない方にはお伝えし、温かい想いを寄せて下さる方にはお応えしたい。そういう気持ちでいっぱいですね。まだまだ知られていないぶん、お伝えに行くところがたくさんある(笑)。

―日本中の人が知り尽くしたら、今度は海外へ

知子
 そうですよね(笑)。そして本当にありがたかったのは、各地のみなさんが実行委員会を組んで全部引き受けてやって下さったこと。八重山や踊りが好きだと、足を運んで下さった。温かい気持ちの中に迎えられ、支えられた…。そういう動きがなければ、できなかったんですよね。私たちが着くまでにいろんなことをしていただいて、本当にありがたく思っています。
 観ていただいた方々に八重山の風に触れていただいて、また八重山を訪れたい、あるいは八重山に行ってみたい、そしてその中に出会いがあること、それは観て下さる方々への私たちからの心なんです。


(情報やいま1997年8月号より)

[奥]新城知子(あらしろともこ)プロフィール
1946年生まれ。6歳の頃より星潤、玉木光に師事。1981年より一人舞台の公演活動を始める。八重山舞踊を多角的に捉える舞踊家である。
[手前]新城音絵(あらしろおとえ)プロフィール
1975年生まれ。画家である父、舞踊家の母を持ち、幼い頃から母の公演に参加。2年前、新たに新城知子に師事。師匠と舞踊活動を始める。

 


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