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やいまスターインタビュー

『とぅばらーまの世界』を出版 大田 静男

『とぅばらーまの世界』を出版 大田 静男

月刊やいまで連載している「鑑賞とぅばらーま」に加え、古い音源を収録したCD付き書籍を出版した大田静男さん。唄に興味を持ったきっかけや、昔のとぅばらーま大会の話、これからのとぅばらーまについてにお話を伺いました。

―唄に興味を持ったきっかけを教えて下さい。

大田 静男(以下、大田)
 僕は17歳くらいの頃から、八重山の唄を調べようとテープレコーダーを持ち歩き、お年寄りの唄を録音していました。当時はユンタやジラバのような労働歌を継承する人がほとんどいなく、お年寄りの一部の方が唄っているだけだったので、これは残したほうがいいのではないかと思ったんです。
 僕は大工哲弘くんと同級生なのですが、ちょうどその頃、ふたりでとぅばらーま大会に出ようということになったんです。夜中に彼の親父のオートバイにこっそり乗って、海岸や野原に行って、僕は笛を、彼は三線を弾きながら練習していました。結局ふたりとも落ちたのですが、当時は10代で出場する人なんてほとんどいませんでしたね。当時、白保出身でレコードを出していた山里勇吉さんがいたのですが、彼は山里さんにとても傾倒していたんですよ。でも白保と石垣の唄い方は違っていて、大工くんが唄う白保の節回しは石垣の人たちにとっては馴染みがなかったんですね。石垣や新川の先輩たちからみると、なんでよその節回しをしているんだということになっていました。そんなことがありながらも一生懸命練習して、ふたりとも八重山の唄にますますのめり込んでいきました。その後東京に行っても、友人たちと久しぶりに花見とかで集まったときには、一緒にとぅばらーまを唄ったりしていましたね。。

―当時のとぅばらーま大会について?

大田
 その後、東京から石垣に帰って来たのですが、とぅばらーま大会は昔より規模が大きくなっていました。1965年くらいに八重山農林高校で開催された大会を観に行ったのですが、当時出演は自由で次々といろんな人が出てきて唄うんです。その中にはなかなか良い声をしていた人もいたのですが、たまに酔っ払いが出てきて「俺にも唄わせろ!」という風にもなったりしていました。今とは全然違っていましたね。
 大会の主催者は第1回から何度か変わっているのですが、その頃は今と同じ石垣市が主催となり開催していました。しかし役所が主催でやっていくと、どうしてもいろんなことが統一されていくんです。順位を決めないといけないとか、名前も『とぅばりゃーま』とか『とぅばるまー』とか言われていたのが『とぅばらーま』に統一されていく。その後の大会を見ていても、どんどん流派の唄い方に硬直してきている気がします。そこには男女の掛け合いとかはなく、唄は唄、囃子は囃子しかしない。そういうのはおかしいんじゃないかと思っていたんです。おかしいと思ったら結局は自分でやる以外にないということで、親戚とか友達を30名くらい畑に集めて、月を眺めながら野とぅばらーまを始めました。しかしそれをどこから聞きつけたのか、どんどん人が集まるようになり結局は100名以上になってしまいました。そうなると対応ができないんですよ。唄を唄わないで「酒を持ってこい!」とか言う人が出てくるようになって。そうこうしながらとぅばらーま大会に合わせて7、8年は続けたと思うのですが、その後はとぅばらーま大会の前夜祭というようなものも出てきたのでもう辞めることにしました。。

―その後、とぅばらーま大会の事務局長を務められたと聞きました。

大田
 石垣市が主催になってから、とぅばらーま大会は市役所文化課が担当することになっていたのですが、こんな硬直したとぅばらーま大会は全然面白くないなと批判していた僕が文化課の課長になり、職務上大会の事務局長になってしまったんです。しかしそこで大会を変えていこうとしても、みんな躊躇してなかなか変わらないんですよね。力のなさを思い知らされました。
 唄というのは本来自分の想いで唄うわけだから、他人の真似ばかりしていたらまずいんじゃないかと思うんです。もちろん初歩の頃は習うことも必要かもしれませんが、そこから自分独自の節回しにならずに、唄がひとつの節回しになって収斂(しゅうれん)されていく気がしています。「ウターイズスゥドゥヌス」(唄は唄う者こそ主)という言葉があるように、自分の気持ちを相手の心に響かせるためには、自分自身がどのように表現していくのかが問われると思います。この本にCDを付けたのも、それぞれの人がそれぞれの想いを込めて表現しているということを知ってほしいと思ったんです。人の数だけ表現の仕方があるし、とぅばらーまの唄もそうでなければならないと思うんです。
 しかし、八重山の人たちの大会で唄を聴くマナーは素晴らしいですね。公園で酒を飲んで、祭のようにワイワイ騒ぎながら聴くというものではなく、一人ひとりが静かにとぅばらーまを鑑賞する姿勢はすごいと思いますし、八重山の文化のレベルは相当高いのではないかという気はします。。

―今ではとぅばらーまは、八重山以外でもたくさんの人が唄っていますが。

大田
 こうやってとぅばらーまが、八重山の人だけでなく、とぅばらーまを唄う全ての人たちの心の慰めになったり、自分の想いを表現してくれるものになっていけば、それはますます素晴らしいことだと思います。しかし作詞になると、昔の人たちの表現の仕方を継続していくというのは、もう八重山の文化のプレートが切れているのですごく難しいと思うんです。つまり、本土復帰以降はテレビが入ってきたり、スーパーが建ったり、いろいろなものが入ってきて八重山の社会自体がものすごく変わってしまったんですね。とぅばらーまが成立した時代と僕らが唄っていた時代までは、どうにかこのプレートは続いていたと思うのですが、1970年代に生まれた子どもたちが今やがて40歳くらいになり、方言を使いこなして自由に作詞ができるかというとそれは難しいと思います。
 ただそこで難しいとばかり言っていたら、それこそ昔の文化がなくなってしまうので、標準語でもいいから書いて、それを昔の人はどのように表現していたのかなというふうに考えていくことで、八重山の歴史や文化、表現の仕方などを学ぶことができると思います。
 大浜中学校や石垣第二中学校で、とぅばらーまを継承しようと地域学習を始めた金城綾子先生という方がいたのですが、この先生はとても素晴らしいと思うんです。子どもたちは方言で表現することはできないのですが、家に帰って家族で話し合うことで、家族の歴史の話が出てくるだろうし、言葉を通して島の歴史を知り、こういう表現の仕方があるんだなということを学ぶことができる。日本の古典文学を学ぶような感じでもいいので、教育でも取り上げてほしいという気はします。郷土芸能クラブはたくさんあるのですが、そういう取り組みもやってほしいですね。。

―これからのとぅばらーまについて?

大田
 今は八重山に来て先生に教えてもらわなくても、インターネットでとぅばらーまを聞いたり、CDで聴いたりする世代がたくさん増えているんですよね。これからとぅばらーまは、新しく形を変えたものが出てくるのかなと思うのですが、それが楽しみな反面、そうなってほしくないなという気持ちもあるんです。だってもう自分たちのおじいさんたちが唄った唄を、僕らの子どもや孫たちが表現して自分の世界にするというふうにはならないでしょう。またこれからの人たちの表現の仕方によってはメロディも変化していくかもしれないですが、唄はいろいろな場所に流れてはその地域の人たちに訴え、心に響くものであればその島々で唄われていくだろうし、実際にイギリス出身者やチュニジアのアラブ圏の人が唄うとぅばるまーがありますしね。インターネットの時代にはそうやってどんどん世界に広がっていき、そしてとぅばらーまがその人たちの心を慰めてくれるとしたら、それはとても素晴らしいことだと思います。


とぅばらーまの世界 『とぅばらーまの世界』
2001年3月号から月刊やいまに連載中の「鑑賞とぅばらーま」に加え、厳選したとぅばらーまの歌詞をテーマ別に分類編集し、それぞれに解説、時には裏話が載せられています。また書籍本文では、歴代とうばらーま大会歌唱・作詞入賞者一覧も掲載。古い音源を発掘し、また地域独特の節回しを収録した南山舎初のCD付き書籍です。八重山民謡の白眉ともいわれる「とぅばらーま」の世界をより深く知ることのできる一冊です。


大田 静男 大田 静男(おおた しずお)プロフィール
1948年石垣市字石垣生まれ。
地元紙・東京業界紙記者、保険事務所、石垣市立図書館、石垣市立八重山博物館勤務後、石垣市教育委員会文化課課長で退職。その間、自由参加の野とぅばらーま大会を個人で主催。
平成16年〜20年石垣市主催とぅばらーま大会事務局長。石垣市文化財審議委員(2期)。とぅばらーま大会作詞の部審査委員(1期)。
著書に『八重山戦後史』『八重山の芸能』(共にひるぎ社)『八重山の戦争』(南山舎)など。月刊やいまに「鑑賞とぅばらーま」、「壺中天地」連載中。

 


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