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やいまスターインタビュー

大島保克

やいまスターインタビュー「大島保克」

ことばの魅力


―ニューアルバム『東ぬ渡』が出来上がりましたね。1枚目の『北風南風』から6年経ってのリリースになりますが。

大島保克
 実は3年前から話は出てたんですよ。録音するまでだいぶ時間はかかりましたけど、録音自体は5日間で終えました。

―ご自身で作詞作曲なさった歌が5曲収録されていますが、歌はどんなふうに作られるんですか。

大島保克
 まず詩が先ですね。どっちかというと僕は詩の方が好きです。

―詩には沖縄の言葉を使われることが多いですね。

大島保克
 白保だけじゃなくて、わりとおきなわの共通の言葉のなかで選び、あとは自分で言葉を生み出したり。『イラヨイ月夜浜』の踊者(ぶどぅしゃー)なんかはそうですよ。ぶどぅりしゃーとは言ってもぶどぅしゃーとは言わない。だけどそれでも意味は通じるし、方言ていうのはそういう良さがあると思うんです。
 なんで方言で作るかというと、方言には独特のメロディーがあるんですよ。これは最近わかったんですが、沖縄民謡に沖縄方言が合うのは、言葉自体にメロディーがわりとあるからなんですね。そのメロディーに逆らわないように曲を付けます。

ひとりであればこそ


―大島さんは基本的にはお1人で活動なさっていますが、どういう思いからなんですか。

大島保克
 1枚目出したころが、自分が持ってるものは何だろうといちばん自問自答してたときだったんですよ。そうするとやっぱり民謡なんですね。あれからです、八重山民謡をじっくり歌っていこうと、1人でやっていこうと決めたのは。それまではギター弾いたりバンドやったりいろんなことしてましたけど。
 僕は高橋竹山さんがすごい好きで、亡くなられる1年ほど前に青森で御一緒したことがあるんですよ。そのときに見た竹山さんは、たったひとりでホテルの大広間ですっごい演奏してたんですよね・・・。体じゅう全部オーラが出てました。
 ひとりでできるようになって自分のスタイルがあると、いろんな人とやるときにもやりやすいです。まだまだですけどね。

―今回のアルバムに参加されていたムーンライダーズのヴァイオリニスト、武川雅寛さんとは、先日石垣市民会館で行われた白保芸能祭でも共演なさっていましたね。

大島保克
ステージで一緒にやるのはあれが初めてだったんですが、石垣でできてよかったなあと思っています。武川さんとは6年前から出会っていました。弦楽器の人とやってみたかったというのもありますけど、人間的に素晴らしい方なんで、一緒にやった動機はそれが一番大きいです。そういう方はやっぱり素晴らしい演奏をされますしね。 

よみがえる記憶


―石垣でステージに立たれる気分は、いつものライブとは違うんですか。

大島保克
 ステージに乗ったらどこでも変わりませんよ。だけど見守られてる雰囲気がどっかにあるんですよね。親がいたりおじさんたちがいたり、小さいころ僕に教えてくれた人ばっかりで。だから緊張もするけど、頑張ってるところを少しは見せんといけないなっていう感じでしたね。楽屋も全員知ってる白保の人だから、がんばれがんばれって出してくれますし。確かに小さいころ祭りで何かやるときはこんな雰囲気だったんですよね。

―地元のみなさんの反応はいかがでしたか。

大島保克
 会う人会う人にいろんなこと言われましたよ。確かに一理あることばっかりで。「もっと派手な服着ろ」とかいうのもありましたけどね(笑)。

―白保には芸能に長けた方が多いですが、外で活動していらっしゃる大島さんは、芸能に対してまた違った視点も持っていらっしゃるんでしょうか。

大島保克
 変わらないですよ、全く。ここで踊ったり歌やったりしてるおばさんなんかとそんなに意識の差はないと思っています。周りを代表するとかいう意識もないし、僕は単に白保に生まれていろんな芸能を見たり聴いたりしてきただけです。
 今回のアルバムはそういった記憶の中から作った唄が多いですね。島をうたった唄が。

先人たちの遺したもの


―八重山の唄に関しては。

大島保克
 僕は八重山の歴史は歌で覚えたようなもんなんですよ。八重山の歌全部覚えれば歴史がわかるんですよね。苦しい人頭税の時代にあれだけの唄が残ったというのは、八重山の人の「誇り」みたいなものの力だと思います。たくさんの財産、民謡が八重山にはあるんですよね。僕も少しでも近づいていけたらと思っているんですが。

―オリジナル曲をご自分でも歌い続けていらっしゃいますが、いろんな人に歌われるのも嬉しいものですか。

大島保克
 そうですね。民謡がなんでこんなに残ってるかって、いろんな人が歌ったからだと思うんですよ。今残っているものの他にももっとあったでしょうね。民謡は民のうたと書きますし、たくさんの人が歌ってこそなんでしょう。僕の曲にしても、いろんな人が歌ってくれたらうれしいというのはそのあたりです。

続けるということ


―ライブでいちばん歌われることが多い歌は『イラヨイ月夜浜』なんでしょうか。

大島保克
 あれはデビュー以来毎回歌ってますね。だけど満足できたっていうことは今まで歌ってきて1回もないですよ。だから続けられるんだと思います。続けるということが一番難しいんですけどね。この前嘉手苅林昌さんもどこかのインタビューで言ってました。「音楽に絶頂というものはない。まだまだ仕事が残ってる」って。ああすばらしいことやなと思いました。意識持って打ち込んだり、それを繰り返して続けていれば、何かあるんじゃないかと思っています。

島を離れて


今お住まいの大阪の町はどんなところですか。―

大島保克
 長屋が並んでいるような下町ですよ。生活感がある町っていうのはやっぱりいいですね。商店街があって、店のおやじと話やったり。だけどちょっと行けば都会、梅田やミナミがあったりで。おもしろいです。

―大島さんにとって、白保はどんな場所なんでしょうか。

大島保克
 そうですね・・・、八重山の方言では、生まれると死ぬは同じ言葉なんですよ。『まらした』、『まらす』という。八重山の言葉が素晴らしいのはそのへんだと思うんです。生まれるのも死ぬのも一緒。そういうことを(新良)幸人と10代のころ話してたんですけどね。生まれた場所か戻る場所かという話をいろいろしてたんですけど、考えてみればひとつのことばだったということで。まあどちらでもいいんじゃないかと思います。

―現在の拠点は大阪ですが、この先は・・・?

大島保克
 当分大阪にいるとは思いますが、いろんなところに行ってみたいですね。行くというか、本当は住んだ方がおもしろいんですけどね。まだ外国には行ったことがないんですが、最初は絶対唄いに行こうと思ってるんです。最近そういう兆しが少しずつ見えてきているんで、楽しみです。

(情報やいま1999年7月号より)

大島 保克(おおしま やすかつ)
1969年石垣市白保出身。1989年、新良幸人ら八重山高校郷土芸能クラブの仲間を中心に「ゆらてぃく組」を結成。翌年上京し、八重高同級生のBEGINのライブへのゲスト出演をきっかけにソロ活動を始める。1993年にファーストアルバム『北風南風』を、1997年には『今どぅ別り』を大島保克&オルケスタ・ボレとしてリリース。1998年高田渡監修の山之口貘トリビュートアルバム『貘』に参加。現在、ソロライブを中心に、様々なジャンルのミュージシャンとも積極的に共演。大阪を拠点に全国で演奏活動中。


 


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