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やいまスターインタビュー

まよなかしんや

やいまスターインタビュー「まよなかしんや」

沖縄の文化が花開けば花開くほど、
沖縄の思いが、こう、ねじ曲げられていくような状況があって、恐ろしい

 話をしていても、じっとしていられない、という感じなのだ。すぐにもギターを片手にみんなの前に飛び出して「みんな元気かーい? 世界の平和と人権と地球環境のために頑張ろう!」と歌い出しそうな彼なのだ。
 そのストレートな勢いのある言葉。それがそのまま歌になり、そして私たちに届く、はずなのだが時代は霧の中に混迷してなかなか通りが悪くなった。ストレートに「平和」を訴えるだけでは煙たがられ、では具体策はあるのか、などとしたり顔で問い返される時代。しかしそんなことを言っているあいだに、よく目をこらすと霧の中にはぼんやりと「戦争」というかつての悪夢が再現しつつあるのではないか。まず声を挙げなければ。
 「フォークソングは民謡。民衆の歌。フォークシンガーである俺は民衆の平和を願う心を歌い続けたい。いまこそ声を挙げなければ」とデイパックを背にギターを片手に世界を、日本中を飛び回る。
 5月11日、『下地重人&まよなかしんやコンサート』が平真小学校の体育館で開かれた。この機会に彼の生の声を聞いた。

フォークシンガーとシンガーソングライター


―復帰運動の頃の「わったあ島沖縄」から最近の「ジュゴンの歌」まで、まよなかさんは一貫して市民運動の中に身を置いて歌ってきているように見えます。

まよなか
 復帰すぐの頃、レコード会社に呼ばれて沖縄フォーク村のメンバーと東京で共同生活をしながら日本全国をまわりました。ところが、東京に居て「沖縄はこうだ」と歌っていると説得力がないというか、自分の歌にも自信がなくなってくる。部屋ででっかい声で歌ったら隣から「ウルサイ!」と怒鳴られる。やっぱり俺は沖縄の空気を吸っていろんな運動をしている人たちと交流しながら歌っていくタイプだと感じた。それで半年で沖縄に帰ってきたんです。今も沖縄に住んで、活動して、そしてあっちこっちに行く。訴えることもはっきりしていますしね。

―最近の若い歌い手たちは昔と比べてどうですか? 

まよなか
 若者たちとコンサートをやると「しんやさんみたいにあんな強いメッセージはできませんよ」と。気持ちは一緒だけどもストレートな表現は先輩にまかせます、と言うんですね。(吉田)拓郎や(井上)陽水が出てきて、フォークシンガーがシンガーソングライターと言われるようになっていった。ベトナム戦争に反対する思いの中から生まれてきたフォークソングが、政治と社会運動から切り離されて、その頃を知らない若者の感性が変わっていくのは仕方がないことだけど、僕としては寂しいですね。

天皇作詞・皇后作曲の「歌声の響き」を歌うビギン


―時代も変わりました。

まよなか
 最近は沖縄ブームというか、八重山の若いアーチスト中心に島唄が日本国中に広がっている。だけど、それは現実を変えていこうという音楽ではない。残念だなあというのが僕の思いなんですよね。沖縄の文化が花開けば花開くほど、沖縄の思いが、こう、ねじ曲げられていくような状況があって、恐ろしいというか、そういうものを感じますね。例えば、天皇が作詞して皇后が作曲した「歌声の響き」という曲をビギンが歌っているんですよね。わざわざ沖縄の人気バンドのビギンに歌わせる。ビギンはたぶん悩んだと思いますが、結果的にはそれを受け入れてあちこちで歌っているわけです。沖縄の芸能はすばらしい、と褒め殺して取り込んでいくような動きがある。このあいだも天皇の古稀の祝いに、天下の大工哲弘や古謝美佐子、奄美の人やアイヌ民族も迎えて歌って踊らすという、まさにそういうことを今もやっているわけです。イラク派兵、憲法9条、辺野古のボーリング調査…と状況は厳しいけれども、闘いをつづけなければますます平和は遠のいていきますからね。

阿波根昌鴻と5本の指の話


―その平和への一途な思いというのはどこから来ているのですか。

まよなか
 高校生の頃に女の子にモテたくてギターをはじめたわけ。そんな時代でしたね。アメリカのフォークソング全盛でボブ・ディランやPPM(ピーター・ポール&マリー)の歌詞がまた凄いのでびっくりした。例えば「花はどこへ行った」という歌は、花はどこへ行った? 女の子が摘んで行った。女の子はどこへ行った? 男の所へ行った。男はどこへ行った? 戦場へ行った。戦場へ行った男はいま墓の中に眠っている。墓の前に花が咲いている。花はどこへ行った? 女の子が摘んで行った…と延々と続くわけです。このエンドレスソングは戦争が無くならない限り終わらない。アメリカのフォークソングを通して、では沖縄にある基地は何なんだ、と。俺たちが何もしないということは戦争に加担していることになるのじゃないか、と。その辺から自分の足元が見えてきてデモに行ったりするようになったわけです。そして大学1年の夏休み。伊江島に行ったときに阿波根昌鴻さんにお会いしたわけですよ。彼が1950年代に米軍基地建設のための土地取り上げに反対して沖縄中を「こじき行進」で闘った伊江島の土地を守る会のリーダーであったことは話していて知りました。その時5本の指のことを聞いたんですよ。5本の指はそれぞれ形が違うけれども仲良しじゃないか、と。世の中が5本の指のようになったら、世界は平和で、人権蹂躙もないし、環境破壊もないし、すてきな世の中になる。今はそうじゃないから拳をつくって団結して頑張るんだよという話を、66歳のおじいが19歳の生意気盛りの青年に3時間も延々と語るわけです。僕は感動して、その感動を「アカバナー」という歌で表現したわけです。伊江島タッチューに登ってですね。これが僕のオリジナル第1作です。

(情報やいま2004年6月号より)

まよなか しんや(本名・大城信也)
1948年奄美諸島喜界島生まれ。1971年、琉球大学仲間で沖縄フォーク村を結成。
「わったあ島沖縄」「ニライの海へ」「沖縄ぬ けーし風」「AKABANA」などのアルバムを発表。平和、人権、環境、共生をテーマに沖縄の心=命どぅ宝を歌い続ける沖縄フォークの草分けの一人


 


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