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やいまスターインタビュー

平良とみ&平良進

やいまスターインタビュー「平良とみ&平良進」

 市制施行60周年を記念して、多くの人に愛されてきた郷土史劇『首里子ユンタ』が公演される。演じ手には、同じく60周年を迎える平良とみ、進ご夫妻。ともに歩んできた沖縄芝居への思い、今後、そして今回の記念公演についてお話を伺った。

―なぜ『首里子ユンタ』を演じることになったんですか?


 市制60周年という大きな行事を迎えるにあたりまして、文化協会の方から、八重山を舞台にした素晴らしい芝居『首里子ユンタ』をやったらどうかと提案があったのがきっかけです。
 この芝居は約40年前に、石垣島で生まれた作品なんですが、初演から石垣市民の皆様には大変親しまれてきた出し物です。初演では40日間ロングランした記録があり、また、今から3年前の公演では、『首里子ユンタ』を14回も見たという人がいたほどです。演目を決める中で、別の芝居を出そうかという話もあったんですが、周囲の方々から是非これをやってほしいという要望がありましたので。
とみ
 この芝居は名前の通り、「首里子ユンタ」という謡をもとにした芝居なんです。大変な遊び人で首里の親族にも勘当され、小浜島へ島流しにされた役人と、小浜の女性と、二人の間に生まれた子どものお話。子どもが抱く母親への思い、苦境のなかでも逆境の中でも、一生懸命勉強して出世したら生みの母に会いに行きたいという思い。親子の情愛、そしてどういう苦しい中でも親子の絆はつながっていて、逆境の中でも絆を守る志があった。そういう愛情がいっぱい織り込まれた物語です。

 このラストシーンを演じるのが一番難しい。2ヶ月前から稽古に入っているんですが、一番難しいラストシーンから稽古に入っているんですよ。
とみ
 昔のように、役者を毎日同じ時間に揃えることは難しいんですよね。ですから、部分稽古を行っています。

―以前とは芝居の環境がずいぶん変わったんですね


 そう。昔は一つの劇団がずっと巡業していましたから、役者は家族のように毎日一緒にいる、稽古もいつでもできたわけです。
とみ
 稽古の仕方も、大型になった劇場も、ずいぶん変わりましたね。

 復帰前は、市民会館のような大きい劇場ではなく、200〜300人でいっぱいになるくらいの小さな劇場がたくさんありました。千歳劇場とか南宝劇場とか。劇団も20団体ほどあった時代でした。
とみ
 この小さな石垣島でも、隣の劇場どうし競争していましたよ。それから、桃林寺から一筋おいたところに、この『首里子ユンタ』が生まれた白保屋劇場がありました。

 私は昭和21年に石垣へ初来島したんですが、芝居をしていて、県内で一番お客さんの雰囲気がいいのは石垣島ですね。
とみ
 糸満からの漁師、首里や那覇からの人も、沖縄本島からの寄留民が多かったということもあって、八重山の人には方言が通じるんですよね。

 八重山の人は本島の方言をきちんと聞きますね。そういう意味でも沖縄芝居が非常にやりやすい地域です。しかし、この芝居は方言がわからなくても流れを見て理解できる芝居ですから。
とみ
 必ずこの言葉がわからないとだめということは、演劇ではないんじゃないかなぁと思いますね。役者の表現とか言葉以外のもので察すること、心で表現して心で察するということ。そういうものじゃないかと思います。なお、言葉がわかればもっと味が伝わりますけどね。

―移住者の増加もあり、言葉の壁というのは大きいですね。


 現在、桜坂劇場の事務所を使って方言講座を行っているんですが、県外出身の方もたくさん参加されていますよ。練習するとずいぶん上手になりました。イントネーションはやはりおかしいんですが、舞台に立って口上を言ってもらうと立派に言えるんですね。でも方言が話せないのはヤマトの人だけではないよ。沖縄の若い人でもできないよ今は。
とみ
 今は方言の書物とか研究書がたくさん出ています。私たちが方言伝承に勤める方法は、講座を行い指導することや演じることです。ご年輩の方というのは、小さいときにおじいちゃんおばあちゃんと芝居を見に行った経験がある人が多い。そういう方は方言がよくわかるんです。芝居の中には悲しい時には悲しい言葉があります。そういうものを目で見て、耳で聞いて、ウチナーグチを知るんです。今は家庭の中でも使わないですよね。孫がわからないだろうといってヤマトグチを話すものだから、だんだんと方言も不用になってきました。でも事務的なことには使えなくても、やっぱり言葉というのはその島の文化ですから。言葉なくして文化は語れないですから。もう少し自分の島の文化にも心を振り返ってほしいなという思いがあります。

 今回、八重山高校郷土芸能部も賛助出演しますが、こちらの高校生の活動は本当に素晴らしいですね。
とみ
 あまり美化せず、本当に素朴なままの踊りがある。

 先生方の指導が素晴らしいと思います。土の香りがする踊りを大事に残していますから。民俗芸能には土地の香りが一番大事です。
とみ
 生徒の皆さんにもお話したんですが、あなた方は幸せだよと。学校も伝統芸能を奨励しているし、指導して下さる先生方もいらっしゃる、そういう中にあるんだからってね。八重山には題材がいくらでもあるから、ここから役者もたくさん生まれてほしいなぁと思いますね。

―八重山の人へメッセージを


 現代社会は少しおかしい傾向にありますよね。親子愛、兄弟愛というのが薄れてきています。この芝居を通して家族の問題、親子の問題などを考えながら見ていただけたら非常におもしろいんじゃないかなと思います。また、市制60周年という記念行事におきまして、八重山を舞台にした芝居を演じさせていただけるということを非常に光栄に思っています。ですから、できるだけたくさんの人に見てほしいです。
とみ
 特に若者たちに見ていただきたいですね。だんだん使われなくなっていく「島言葉(ルビ:シマクトゥバ)」や風習・民俗もどんどん時代とともに薄れていく中で、芝居・歌・踊りを通して、先人たちの残して下さった大事な文化を学び、忘れることなく、生まれ育った島の伝統・文化を次の世代へと継いでいってほしいと思います。

 近代化が進むということは、古いものも失うということ。だからこそ、ウチナーの風俗習慣、方言を使う我々のウチナー芝居のような、近代化に押し流されない芝居が非常に大事な気がします。日本広しといえども、方言だけで芝居ができているのは沖縄県だけなんです。商業演劇として100年以上続いている、この小さな沖縄県でこれがまかり通っているというのは不思議なことでもあります。だから我々もそれを大事にしたい。そして、でき得れば、『首里子ユンタ』の舞台である小浜島の言葉を習って演じたいなと思うんです。また、ここで稽古する時間があれば、地元の方にも是非出ていただきたいんですけどね。これは今後の課題です。
とみ
 八重山でまた再演できるようになったら、村人役も八重山口を教えてもらって演じたいですね。叶わざる夢かもしれませんけど。

(情報やいま2007年6月号より)

平良とみ(たいらとみ)
昭和3年、那覇市松山町生まれ。
平良進(たいらすすむ)
昭和9年、宮古島平良市生まれ。
平良とみ昭和17年、平良進昭和21年に「翁長小次郎一座」に入団。昭和25年に結婚。平成11年には、ともに沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者に認定される。沖縄芝居はもちろん、数々の映画やテレビ番組にも出演。現在、現役での活躍はもちろん、昭和57年に立ち上げた劇団「綾船」で後進の指導にもあたっている。


 


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