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航海の島 黒島

通事孝作
黒島コラムちゃんぷる〜「航海の島 黒島」

航海安全と御嶽

八重山諸島のほぼ中央にある黒島は、「フシマ」または「サフシマ」などと呼ばれ、隆起珊瑚礁からなる典型的な「ヌングン島」である。往古から海と関わる文化があり、特に御嶽は、ほとんど航海安全に関与し、海とのつながりを有する由来が残っている。また、造船の伝説があり、航海の始まりの島だといわれる。豊年祭には船漕ぎの儀式があり、ニライカナイ信仰が脈打っていることを彷彿させる。
『琉球国由来記』巻二十一によると、島には八つの御嶽があり、「八嶽」として親しまれている。王府時代には「公儀御嶽」として信仰の中心を形成していた。場所は二嶽を除きほとんど海岸の近くにあることが特徴だ。八嶽の由来をたずねると、以下のようである。
喜屋武御嶽は、島の女性が島に安着した宮古古島のテフヌ主(若文子)と恋仲になり、役人が島を離れる時、航海安全を祈願したところ、役人は無事に帰省することができた。そこで祈願した場所を旅御嶽として創建したという由来がある。
保里御嶽は、島に漂着した大和人と島の女性が夫婦になったが、夫が帰郷することになり妻は夫の一路平安を心を込めて祈願した。その妻が祈願した場所が旅御嶽として建てられたという伝説がある。近くに伊見底御嶽があるが、同御嶽も航海安全の神と関わりが深い。
北神山御嶽は、航海術に勝れた兄弟が公用船の船員に選ばれ、八重山と王府のあった首里の間を何度も航海した。その都度、彼らの妹は兄たちの平安無事を祈り続けていた。妹の祈りは通じ、無事に帰省してきた。村びとは妹が祈る場所を霊場と考え、村で拝殿を創建し、村の旅御嶽として深く崇敬した、といわれる。由来をたずねると、オナリ神を想起させる。
阿名泊御嶽
海のすぐ近くにある阿名泊御嶽
南神山御嶽は、その由来を繙くと、オナリ神と関わり、兄弟の危難に対し姉妹が霊的な庇護を発揮して祈りが通じ、旅御嶽として聖地になったことが伝承として残る。
仲盛御嶽は、『琉球国由来記』には「由来不相知」とある。しかし、古老によると王府時代に、黒島首里大屋子が在任中に賄女として娶った島の女性を、自分の旅立ちに際して航海安全を祈願させるために創建したといわれる。
保慶御嶽は、御嶽の原型を失い、イビも消失している。海の石が霊石となり、これを安置し祈願したところ、農作物が豊かに実ったという伝承がある。このほか、八嶽には南風慶多御嶽、迎里御嶽があるが、両御嶽は直接海とかかわり、航海安全の祈願所だったという伝承は薄い。
島の北海岸沿いにある阿名泊御嶽は、八御ではないが、海と関連をもち、航海の無事に感謝を捧げることを本旨としている。嶽名から島間を渡航する船びとの航海安全を祈る場所だったことが分かる。竹富島生まれの故・上勢頭亨氏は「航海の始まり 魚舵 黒島 島仲アナドマリ是れあり」と唱えた。

造船のはじまり

八重山での造船の始まりについては『八重山島由来記』にその記述がある。
上代竹富村に島仲と申者七歳あはれし五歳なる者居ける或時ほさきと云所に三日月の輪の様なる船形あるを兄島仲見付取揚不思議成物と感心して先此形に似せ船を作らんと思ひ木を伐り造ける折節妹あはれし兄に食事をあたへんと来けれは島仲申様汝年頃にもなかれし妹神かたべ造ける船に名付あらまほしと相語りけれは念願相叶ひ則妹に御神乗り移り島仲造る船は五包七包船と名付是れにて海上往来あるへしと御神詑あり けれは謹而承り此船を海に浮へ磯遊ひ仕ける折節大波に引流され無念に存居けるに右船黒島へ流着けるを彼島者見付是を手本て船を造り竹富島へ乗り来る島仲見付私流しける船に似たるを不審に思ひ差図段相語り ける島仲造船より出来たる儀相知れたり故に竹富より出たる船形とて竹富島にすら所相拵置ける処中頃より所替せ石垣へ差越し たるとなり今の石垣船是也と相伝申事也以上の内容から竹富島が造船の始まりで、黒島は航海の始まりの地だったといわれる。
『慶来慶田城由来記』に「古見船作事、すら所は昔より黒島村にて作事仕候咄左記」と題した記述がある。内容は、明らかに『八重山島由来記』を素地にしていて、「黒島が船出初故船許にて地船作事に成為申由伝有之事」と綴る。
島での造船は木材資源が豊富な西表島から取り寄せ、行われていたと考えられるが、それでは島の造船所はどこだったのだろうか。「黒島最初の造船所は南フタ村のまき泊であったが、其の後宮里村の船浦に造船所を移転し、以て造船業を盛んにし、茲に船浦御嶽を創建したのである。船浦御嶽は造船中の祈願と航海安全と進水式(すらおろし)の儀式等の時司を始め、大工並びに村民等が御嶽に参詣して儀式を行った所である」(『八重山民俗誌』喜舎場永殉著)。船浦御嶽は、豊年祭の船漕ぎが行われる宮里海岸に建つ。
造船は、しばらく宮里村の船浦で行われていたようだが、一六七八年(康煕一七)には西表島の古見に移転した。「前代ハ大船作事之儀、黒島村ニ而作事仕、楷木積渡往来過分ニ付石垣船者石垣村、古見船者大枝村造船場被仰定候事」(『八重山島年来記)との記述がこれを裏付ける。要するに「黒島の造船所は古見村へ移転したと記録に見えている。其の移転の理由は船材の蒐集上不便であることと、資材の運漕と造船日数が長引く事などのために資材の豊富な古見村へ移転されたわけである」(『八重山民俗誌』)ということである。
黒島の造船所は古見に移転し、再出発したが、一七四八年(乾隆一三)には西表島北部の船浦に新たに造船所が創設された。造船所は石垣島のものも含めて、船材は各村で分担した。蔵元は十二反帆船を、各村は十反帆船から三反帆船までを、それぞれ役割分担して管理した。黒島村は五反帆の地船を管理したが、その船は六年目に新造したといわれる。造船は古見、船浦で行われていたことが分かるが、それに対して「新造の月は旧暦の四月、島の農閑期を利用し十五歳から五十歳までの健康体の男がくり舟で西表島の仲良川の川口にある、黒島の造船場浦田のクワンギャド(山に桑の木が多いからその名あり)に渡って一ケ月の日時を費やして六段帆を造ったのである」(『八重山芸能と民俗』宮良賢貞著)との記述をどのように捉えるか。黒島の人たちは西表島に渡って独自に船造りをしていたということだろうか。

造船のカンフチィ

島に造船に関わるテンダティ(仕事始め)の神口(カンフチィ)が残っている。
今日の佳い日にち/黄金日にちさあーり/みみじや/なは/乗し造る/みよーに/六段帆/嘉例吉船/絹の上はら/布の上はら千里走る嘉例吉舟/絹の上はら/またん/帰りきー/ゆぬ/みみじや/なは/休息/わーりとうり/舟神とゆまし/ばがけーら とゆまし/給うるとっり/いちんいちまでん/かわらんちくん/人けーらん/ぬずまり給うり/旅ふくば/嘉例吉たんかー/し いとーりり/人けーら喜ばし給うり
 ※みみじや=舟下駄 みよー
  に=御舟
  なは=に、の上に
造船の時は、このテンダティを唱え、無事に船が完成できることを祈って、仕事を始めたといわれる。船が半ば出来た頃にアシイザシ(木と木との合目にボロ布を差し込み水が入らないようにすること)式を挙げた。挙式の神歌は以下のようである。
ばが船ぬ生りや/甲寅にど生りたる/神ぬ にど生りたる/アシイザシさば/大和鍋に ん/うざか鍋にん/あらしやうり/うぬ願 ひど/くぬ果報ど/にがよーら
アシイザシが終わって五、六日すると六反帆船は完成し、船の神様に神酒、供物を備え満潮時を見計らって進水式を行い、海に浮かべられた。そして、船は宮里に投錨したようである(『八重山芸能と民俗』(宮良賢貞著)琉球王府時代には、このように造船に関する一連の儀式が厳かに行われていた。

パーレ・多良間真牛

島は海の文化のひとつである造船、航海と深く関わるが、豊年祭の船漕ぎはユニークな島の文化を感じさせる。島でパーレと呼ばれる船漕ぎの競漕は、「世乞い」に通じており海の彼方から豊穣を求めるニライカナイ信仰が底流にあるように思える。古老たちは豊年祭の当日、「豊作や波渡りから給ると言って、今日はパーレば仕差、たんとうの豊作ば漕い満ちしきわーら」とあいさつを交わすことから「豊作は波渡から、海の彼方から給る」との考えを根強く持っている。パーレではサバニとは違う島独特の船に二十二人が乗り込んで互いに競漕するが、全身全霊を櫂に託す漕ぎ手は腕に力が漲り、海の彼方から「世」を手繰り寄せようと必死に櫂を漕ぐ。その光景は圧巻である。
島には、また「鱶に救われた多良間真牛の話」があるが、これも海と関わる。記録によると、この奇蹟が起こったのは一八四三年(道光二三)のこと。遭難して無人島に流された多良間真牛が、半年の後、鱶に助けられ無事に黒島に戻ってきた、という話だが、これを八重山蔵元の役人が調査し、その記録を首里王府に報告した。その結果、鱶に助けられた多良間真牛の話は公然となり、多くの人たちの知るところとなった。多良間真牛は、後に王府から賞品を下賜されている。島では古くからその話は語り継がれ、記録化されている。


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