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トップ  >  はいの晄の八重山  >  「子乞い」から23年の鳩間島(続)

鳩間島から見えるもの

文・はいの晄
島人と観光客・移住者の落差
学校がなくなれば島がなくなる――。過疎化の波に洗われて、島外から子どもを乞うて学校を存続させようとした23年前の鳩間島。しかし今では多くの観光客が訪れ、海浜留学も増え、移住希望者も後を絶たない。過去には考えられなかった人の波の逆流。同様のことが今、八重山の島々でおきている。この周囲4キロ弱の小さな島から見えるものを報告する。

鳩間島から見えるもの

『子乞い』と「瑠璃の島」の落差

 5月3日。8回目を迎えた鳩間島音楽祭は、昨年の倍以上の人で賑わった。島外からやって来た人が1000人とも1300人ともいわれた。「鳩間が沈むんじゃないか」と誰かが冗談で言うほどの、おそらく島はじまって以来の島外からの人出であった。
 これほど人が集まったのは、最近の沖縄ブームに加えて4月から始まったNTVのテレビドラマ「瑠璃の島」の影響が大きかった。
 このドラマは、23年前の鳩間島を舞台にした森口豁著『子乞い』が原作。学校を存続させるために他所から子どもを「子乞い」して連れてくるところから始まる同書は、「大和」「中央」から見捨てられ、島ちゃび(孤島苦)にあえぐ鳩間島の現実を克明に記録したすぐれたノンフィクションだが、ドラマの方では、都会から連れてこられた女の子が、「鳩海島」という架空の小さな島で癒され立ち直っていく過程が中心にえがかれた。
 残念ながら鳩間島の現実、とくに負の歴史はほとんど登場せず、島はおもに「癒し」の舞台として、いわば「何もない」素晴らしい場所として扱われた。
 ドラマとはそういうものだし、だから舞台を鳩海島という架空の島にしたのだというのもよくわかるのだが、しかし、せめてもう少し『子乞い』の島の現実を今に移して描いて欲しかったという気がする。
 いや、ここで言いたかったのはドラマに対する不満ではない。『子乞い』と「瑠璃の島」の落差のことである。この変化が、23年を経て島がいま突きつけられているものを象徴しているように思うのである。
 つまり、かつてはあんなに顧みられなかった島が、今は異常なほどにちやほやされている。こそばゆいほどに持ち上げられている。これは何なのか。かつて島から北に向かうばかりだった人の流れの矢印が、今は北の方から島に向かっている。しかも、太い矢印。これは本物なのか。いつまで続くのか。かの豊饒をもたらすというニライカナイからの印なのか。しっぺ返しは大丈夫か…
 鳩間島のみならず八重山の島々でおきているこの現象を、鳩間島を通して考えてみる。

観光客の増加と素っ裸の男

『子乞い』から「瑠璃の島」までの23年のあいだのいちばんの変化は、なんといっても、島に人がやって来るようになったことだろう。以前は島から人が出て行くばかりで乞うてまで来てもらっていたが、今ではお願いしなくてもやって来るようになった。
 預かった里子たちが島の暮らしのなかでいろんなことを体験し自分を取り戻していく。そのことが話題になりマスコミで取り上げられて向こうから人がやってくるようになった。
 島の活性化のためにと始めた鳩間島音楽祭が定着して人が集まるようになった。これは島の人たちのがんばりの成果である。
 加えて沖縄ブーム、癒しブーム。「瑠璃の島」以来、竹富町の教育委員会と観光協会には鳩間島のことを問い合せる電話が急激に増えたという。
 沖縄県八重山支庁の『八重山要覧』1998年度版によると、鳩間島の1993年から1997年までの5年間の観光入域客数は953人。年平均およそ191人である。それが10年後の現在では何千人になっただろう。とくに最近は激増していると思われる。
 ところで、鳩間島音楽祭の当日のこと。音楽祭が終わって帰りの船待ちの時間。会場に近い前泊御嶽の前の浜で若者たちがはしゃいでいた。なかに素っ裸の若い男。一瞬、目を疑った。大勢の目の前である。
 やがて男は仲間に言われて海水パンツを着けたが、島にやってくる人が増えるということはこういう傍若無人もあり得るということである。

島時間のなかでの島の暮らし

 さて、かつてなかったすごい勢いで島にやってくる人たちにどう対処するか。その前に、鳩間島の人たちの生活の様子を見ておこう。
 2000年の国勢調査によると、鳩間島の就業者28人の内訳は、農業4人、水産業1人、建設業1人、運輸・通信業2人、サービス業20人である。しかしこれでは内実がよくわからない。羽根田治著『パイヌカジ・沖縄鳩間島から』(1997年・山と渓谷社刊)に次の記述がある。

――現在、鳩間で現金収入が得られる仕事を列挙してみると、前記の民宿経営、売店業務、傭船、学校職員、郵便局業務のほか、畜産(牛)、カモの養殖、漁、星砂とり、ツノマタの養殖、ヤシガニの出荷、定期船「かりゆし」の綱とり、電気・水道などの検針などとなる。このほか公民館長や区長などの各種役職に対する手当、里親への補助、地域で取り組んでいるモズクやシャコガイの養殖などが挙げられる。これらの仕事を、ひとりでいくつも抱えているわけである。(略)島の基本的な生活形態は自給自足的な半農半漁であり、これは佐藤さんが島に移住してきた20年前と比べて、今もほとんと変わっていないそうだ。――
 民宿が3軒から5軒に増えた以外は今もほとんど変わらない暮らしぶりである。人口は20数人まで落ち込んだ時期があるが、この20年間は50〜60人の前後を行ったり来たりであまり変化がない。今年3月末現在の人口は36所帯・60人。
 インフラはどうか。1980年に水道が通り、83年に全島電化、97年には一周道路と立派な防波堤の桟橋が完成、ヘリポート、コミュニティーセンター、学校の体育館もできた。診療所やゴミ焼却炉など(先の町政懇談会では公民館が町に旅客待合所とトイレ設置を要請。住民からは定期便就航、街灯設置、道路整備などを求める声があった)不足しているものもまだまだあるが、少しずつ整備されつつあるというところだろう。
 いってみれば、鳩間島は、ゆったりとした島時間の流れのなかで必要とし許容できるものを受け入れ、半農半漁の昔からの静かな暮らしをつづけてきたといったところか。
 そこに「観光」がやってきた。

観光の功罪

 観光が盛んになることで島にどういう変化がおきるか、大きく3つ考えられる。
〃从囘効果を生む。これといった産業のない鳩間島が手っ取り早く潤うためには観光は最適である。しかも総合産業だから他の産業への波及効果も考えられる。
⊆け皿作りがすすむ。宿泊施設など観光関連業種はもちろんだが、公民館が要請している旅客待合所やトイレ、ゴミ焼却炉などのインフラが整備される。なかでもいちばんのメリットは鳩間への船便が増えることだろう。
人と人の交流が観光の大事な基本。人の交流が盛んになれば、文化や経済などさまざまな面に良い影響を与える可能性も大きくなると思われる。
 さて、上の3つはいずれもうまくいった場合の良い変化の話である。ではうまくいかなかった場合どうなるのか。大きな不安を挙げると、 まず、周囲4キロ弱の小さな鳩間島に許容量以上の人や物が流入したら、確実に自然破壊や生活破壊が進むだろうということ。
 もうひとつは、観光は水モノ、いつブームが去ってしまうかわからないという不安である。かつての沖縄海洋博のように、祭りのあとの廃墟にならないともかぎらない。

観光で島がおかしくなった?

 鳩間島はどう考えているのか。島の人たち10余人に話を聞いた。「観光はいらない」という人もいるが、せっかくのチャンス、慎重にやれば島の活性化につながる、要はやり方の問題だというのが多くの人の意見である。
 ある人は「年寄りたちは今まで通りでいいと思うかもしれない。しかし島の将来を考えると若者が住みつけるような島にするために活性化が必要。鳩間ではいろんな事業が起きたけどほとんど失敗した。だから今度の波はチャンスだと思う。観光は手っ取り早いし、実際にここ数年伸びてきているのは観光だけ。ただ、いちばん大事なのは来る人も島の人も喜ぶこと。高望みはしないで島は島の行き方を考えなければいけない」という。
 またある人は言う。
「今、観光で離島が見直されているときに、観光でやることを考えなければ千載一遇のチャンスを逃がすことになる。この島は海。島をそのままにして海を主体とした観光を考えたらどうかと思う。コンドミニアム式の施設をつくって畑をつくらすとか、エコロジー的なツアーも面白いと思う。しかし(島の)キャパを考えて、環境を壊さないようにこぢんまりとやって、あとは別の産業を考えることはできないか。また、環境を守るためには観光税にあたるようなものも必要じゃないか。自然環境関係の大学の学部を誘致するというのもいい。この鳩間島の問題は今までは島内だけの話で済んだけど、これからは外の波が否応なしにやって来る。これまでの頭の中のものを全部捨てて対応しなければいけませんよ。維新ですよ」
 急がないで今まで通りやればいいという意見もある。
「小さな島は急激な変化にすぐに対応するのは無理。受け入れることのできる範囲でしかできないし、無理をすると島の良さがなくなる。いちばんの心配は日帰り観光客ばかりが増えて島が破壊されることですね。滞在してもらって島の良さを味わって欲しい。それと、今まで鳩間島は里子や海浜留学で子どもたちを受け入れてきた。これまでの延長で人づくりを考えた方がいい。観光のチャンスを人づくりに結びつける。例えば、一般家庭でもホームステイを受けるとか…」
 こんな声もある。
「観光客が増えてきて(島の)人と人の関係が難しくなってきた。お金よりも人間が先のはずなのに、みんな個人個人、へんに資本主義が徹底してきた。忙しいから行事に参加できないという人も出てきて、コンセンサスがとりにくくなってきている。観光をやるなら徹底して考えて観光をやればいい。どうも中途半端。今、過渡期でしょうね」
 島が岐路に立たされ、住民が決断を迫られているのは間違いなさそうである。

島に住みつくということ

 観光とは別に、島にやって来る人のなかには島に移住したいという人たちがいる。しかし、いざ移ってきてもなかなか定着しないというのが実情であるらしい。
 ある人は言う。
「島で生きるためには島のためにいろんなことをやらなきゃならないし、完全に島人になりきらないとダメ。そんな生活も難しいだろうけど、これといった仕事もないし…」
 また、ある人は「われわれは島のために我慢をする。耐えることをする。ときには衝突もあるし耐え難くなることもある。しかし島を守るために耐える。そうすると時間が解決してくれる。しかし外から来る人にはそれができない。干渉してほしくないという気持ちがどこかにあるから、耐えられなくなる。島で住むとどうしても関係ができるからそれに耐えなきゃいけない。島で自分がやりたいと思うことができるまでには時間がかかる。まず容認されてはじめていろんなことができると思わなきゃいけない」と言う。
 島に住むということは厳しいことなのである。島で生まれ育った者でさえかなりの我慢を強いられるわけだから、外からひょいとやって来た人が住み続けるには相当な覚悟がいる。「郷に入れば郷に従う」のはもちろんのこと、大げさに言えば、プライバシーなどあってないようなものだと思わなければならない。

瑠璃色の海と共生共死の思想

『子乞い』に島を去る若夫婦の言葉が記されている。
――「この島で生きていくことのできる人…そうですね、鋼のような強靱な精神を持った人か、そうでなければゴムのように柔軟な心の人、どっちかじゃないですか。普通の人だと参っちゃう感じですね。自然だけ見てたら楽しいとこなんですがね――」(略)「自分自身も、人からああだこうだいわれず、好きなように生活したいしね――」――
 しかし森口豁は、島の人たちが島の暮らしに「耐える」ことができる理由をつぎのように書いている。
――相互の考え方の諍いを、表面化させずにしているのが、海に囲まれた孤島としての厳しさと、それを癒してくれる自然環境の美しさだ。どんな辛さも苦しさも、目の前に広がるやさしい瑠璃色の海面を見ると忘れることができるし、暗雲が島の上空を覆い、沖合から白い牙をむいて果てしなく荒波が襲ってくるような季節は、同時に島に住む者同士の結束を自覚させ、日頃さりげなく生きている者同士が、何とも心強い存在に見えるのだ。人と人とが互いに庇い合い、他人の痛みや苦しみを分け合い扶け合って日々を生きていく、共生共死の思想は、厳しい孤島苦が島びとたちに与えた知恵であり、島に生きる原理であった。島の外から訪れた〈他所者〉は、この孤島の心理の深層に踏み入ることができず、表面的な優しさにほだされて安堵し、島と島びとを竜宮と見紛う――
 いろんな人たちがやってきた。「子乞い」のころは、島が、子どもと共に子を産むことの出来る若者をも乞うた。また、当時は人口もじり貧のころだから、中年であっても有り難く受け入れた。
「以前に、土地付き家付きで移住者を募ったことがあった。しかし、なかには、行事には参加しない、仕事もしないで麻雀をやっていながら、自分は生活できないから生活保護を受けたいという人がいた。遊んで金がなくなればハイさよならと出ていく人もいた」という。
 だから、「外からの人はいつ出ていくかアテにならないから、ちゃんと移住の決意を確認しないといけない」と島の人たちは思っている。

移住ブームの石垣島

 ところで、八重山のなかでの移住地のメッカはなんといっても石垣島である。島が大きいし、たいていのものが揃うちょっとした市街地があるから便利もいい。
 場所によってはほぼ完璧にプライバシーも保てる。車で10分も走れば海はあるし山はあるし(あるいは目の前は海だし後ろは山だし)、離島への利便もいいし、那覇行きの飛行機だって一日に何便も飛んでいる。
 そんなところが人気のある理由だろうか。移住者があとを絶たない。住民登録をしていない人を含めると1万人ほどいるのではないかという声もある。
 では、この現象を石垣島の人たちはどう見ているだろうか。――極言すると、鳩間島の人たちが外から島にやって来る移住者を見る目と同じである。
 石垣島は鳩間島に比べるとかなり広いから移住者にとってはなかなか見えにくいだろうが、島の人たちは、「俺たちの島に他所者がやってきた」と見ている。ところが、移住者は、東京から鹿児島に移るような感覚で「石垣島に移ってきた」くらいに思っているのじゃないだろうか。
 この両者の落差がさまざまな問題を生む要因になっている。
(敬称略・つづく)
(情報やいま2005年9月号より)

 


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