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わが家の一枚 「兄の想い出」


(話)伊藤 澄さん(平得在住)

わが家の一枚 「兄の想い出」

写真の裏には、「昭和十四年三月十日受、観音堂ノ前ノ砂濱ニテ」と書いてあります。写真に写っているのは、八重山農林高校の一期生たちです。遠足で観音堂を訪れて、前の砂浜で相撲をとっているのを写したものと思われます。(写真の持ち主は、平得出身の故・西本毅さん)。
 兄はおとなしく、温厚な性格の人で、4歳下の私を可愛がってくれました。兄は農高を卒業して、静岡県に農業の勉強に行ったと思います。そして、私は小学校のときに台湾にいた叔母のところに行き、しばらくして兄も台湾にきました。そこで兄には召集令状が届いて、ビルマの戦地に行くことになりました。父は一人息子の兄を、「一目会ってから行かせたい」と話していましたがそれも叶わず、石垣の土を踏むことなく戦地へ行きました。
 その後、戦地での兄の消息が分からなくなり、戦後になって石垣港に引き揚げ船が着くと、父はいつも港に行って兄の帰りを待っていました。「今日もダメだった」とさびしそうにしている父の姿がありました。そして昭和19年5月19日に戦死したという知らせが届きました。その後、兄と同じ部隊にいた人から「マラリアと疲労困ぱいで、西本君は亡くなった」という話を聞きました。
 やさしかった兄はもういませんが、この写真を見るとあの時の兄がすぐ分かります。


 


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