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野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第1話・廃村のあと

写真・文 はいの 晄
「ハジニガイはやったんですよ。しかし、一応は祭りはやりませんとしたけれども、みんな島恋しいだろう、 と。ウガンはどこにあったと伝える必要があるんじゃないかと、碑だけは立てようと。」


第1話・廃村のあと


下地島・ナアサキの船着場
「ハジニガイはやったんですよ。しかし、一応は祭りはやりませんとしたけれども、みんな島恋しいだろう、 と。ウガンはどこにあったと伝える必要があるんじゃないかと、碑だけは立てようと。」  
昭和37年(1962)の8月に、たったひとり残っておった仲底加真という人が上地島に移ったために、とうとう下地島は廃村になったわけです。はい。そのあと島は牧場になって今にいたっておるわけですが、下地は昔は親村と威張っておったが、今は…。
 オーセ(村番所)も昔は下地にがあった。ところが、140年くらい前に上地に移った。ピナカン(火の神)も移したとか。というのも、下地の村は北に向かって冬は厳しい、上地は西に向かって、湾になって北風南風にも船が付け易いんです。そういう理由でが上地に移したと私は思っておるんです。
 シマ(村)がなくなる第一は大原移住ですよ。昭和13年ごろから胎動したらしいですからね。そのころ私は戦争に行っておったですが…。あれでがシマは根本的につぶれてしまった。文化もなくなってしまったわけです。  私は戦前には大原移住していないですからね、戦争が終わって石垣の部隊から島に戻りました。大原に移住していた人も、終戦後はみんな下地に戻ってきたですよ。下地にはマラリアはないですからね。自分の畑もあるからですね。仮小屋みたいな家をつくって、命の保養をして、あれからがまた一人去り二人去りしていったんですよ。



 そのときはシチィ(節祭)のハーリーシューブ(爬龍船競争)なんかできなかったです。船も腐れて、そんな状態ではなかった。そのときは疲弊してですね。祭はウガン(御嶽)のまつりぐらいで、テーゲーグァ(大概)だったです。はい。思うように出来なかったです。豊年祭はやりよったですね。37年には村はなくなったですが、36年ぐらいまでやりましたかね。人はほとんどいなかったですが、豊年祭だけはやりましたね。
 

 戦後の昭和27年(1952)ごろにも移民計画があって、私ら家族も仕方なく豊原に移ったんですよ。子どもの教育のためにもですね。そしたら那覇の牧場主が島の土地を買いあさって、沖縄にいる人も1軒1軒訪ねて買い占めて、私のところにも最後に来たんですが、私ら5、6人は売らなかったです。はい。
 ところが草地改良して牧場にしたわけです。何の連絡もないですよね。私ら裁判かけてですね。この裁判も長かったんですよ。8年ぐらいでが決着がついた。はい。地主に明け渡しということになったけど、杭だけは打ってあるらしいが…。
 村の復興は、あってもらいたいとは思っていますけど、…おそらくないでしょうね。屋敷は10何軒かは売っていないはずですよ。下地が復活するなら私のやっていることも生きるのですけども。はい。


 祭りはもうできませんと神別れのニガイ(願い)、これはハジニガイというんですが、ハジニガイはやったんですよ。しかし、一応は祭りはやりませんとしたけれども、みんな島恋しいだろう、と。ウガンはどこにあったと伝える必要があるんじゃないかと、碑だけは立てようと。私が発起人みたいになって「島を守る会」をつくって昭和59年から60年の2年間で、ここにおる連中みんな集めてからに8か所のウガンに碑を立てたわけです。
 みんなも、そうだ、と。たしかあのころは石垣に残っておるのが20所帯ほどあったはずです。それから趣意書を作って、金を集めて、400万に少し足りなかったかな? はい、これならできると。左官も大工もおったから、それぞれの技術を発揮してよ。手間賃をとることは考えないで、奉仕してそれぞれの技量を発揮してくれ、と。
 水道もないですから、井戸の水を汲んで、今年はどことどこ、みんなで一晩泊まりして。一回20人ぐらいで行きましたかな。船をチャーターして、役割分担して、ついに8つのウガンの碑を完成させましたよ。はい。


 それまでは、先祖のたたりだとか、どこのウガンにハジニガイをやらなかったとか、個人個人で、沖縄からも島に通ってくることもあったけど、みんなでまとまって行くことはなかったですね。個人的なパイパイ(拝々)では私もユタをつれて2、3回行ったですよ。沖縄から、案内してくれ、とかありましたです。  いまごろ、碑を立てなかったらどこにウガンがあるか誰もわからなかったはずですよ。はい。碑を立ててから、毎年、5月の連休ごろにみんなして島に行くようになったわけです。ウガンの掃除をして、浜に下りて潮干狩りをしたりして一日遊ぶわけです。最初は発電機ももって、テントを張って、一晩泊まりで行ったりしましたけど、最近はみんな年とってしまいましたな。
 時代は変わって、向こうで生活したこともない青年連中に、さて、どれだけ愛着があるか…。



 


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