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トップ  >  はいの晄の八重山  >  野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第2話・神の島|はいの晄の八重山

野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第2話・神の島

写真・文 はいの 晄
「粟なんかこんなに生えたですよ。焼畑やってこっちが終わったらまた次のところに行く。そうこう しているうちにまた草が生えて枯れて堆肥になるでしょ。とにかくぜいたくな土地利用でしたよ。」

第2話・神の島


リーフが発達した下地島の東海岸。北側の砂浜を除けば島の周囲はこんな風景がつづく
 下地島の周囲は多くが岩盤でかこまれておるが、北側にマイドゥマル(前泊)の砂浜があって、その南側にが部落はあった。昔の人は暴風を恐れていますからね、集落のあるところは低いところですよ。また、近くに井戸がありますからな、水の近くにということじゃないですか。
 昔、小学5年生の遠足のとき、先生が島の人であったが、弁当をこしらえてもらって、はい、島を測量しよう、と。ナアサキの浜(今の突堤のところですが)に棒を立ててですね、それからぐるーっとこんなに測ったんですよ。間縄みたいなのをつくって、100メーターずつ印をつけて、そして測ってきたら、島の周囲は4キロ800くらいであったというのを今でも憶えておる。実測ですよ。はい。  島の東側はリーフが発達していて、これは上地までつないでおって、干潮のときには上地まで歩いて渡ることができます。また、島の西側は、明和の大津波の影響だといわれておるんですが、砂が堆積して盛り上がっているところがある。津波のアトゥナグイ(ナグイというんですよ波に)でがやられたと言われておるんですよ。ですから島の西側は砂がたまって盛り上がっているんですよ。上地も、黒島も同じですよ。なるほど話の通りだなあ、と。
 島の南側のアーラスコ村が津波にやられてですよ、そこの神様をイールワン(西御嶽)に移すときはですよ、話に聞くとですね、移すときに、道に砂も撒いて、村中総動員で、行列の一番最初はお膳に塩を盛ってそれを撒きながら、払いながら、その後ろにお膳に花米を盛って、これを撒いて、その後ろにがチカサ(司・神女)、部落の役者が並んだという言い伝えがあるんです。はい。ここの神様の名前がキンマモンというて、キンマモンというのは、沖縄の偉い神様らしいですな。
 ナハスコワンは島の中心にあります。ここは島のウヤカミサマ(親神様)という言い伝えがありますよ。島の中心だからあんなにが言うたんじゃないですかな。ナハスコというのはナカグスク(中城)。八重山ではグスク(城)はスクといいますから、だからナハスコですね。

島の一番高いところにある仲盛。昔の火番盛であった。
 このあたりが島の真ん中で、いちばん高くなっておって、ここに仲盛があります。ここは火番盛だった。烽火は、波照間や西表の南風見から下地の仲盛、仲盛から小浜や黒島に通した、と。仲盛が使われなくなって上地のタカニクになった、と。
 仲盛には高さ4メートルくらいの石積みがあるんですが、不思議なことがひとつ。何石かしらんが、四角い石で東西南北を指し示したものがある。それは、明治のころに測量船が出没していたときに、人が寝静まった夜中にやってきてこっそり埋めていったそうな、とそういう噂がありますよ。誰もこの石を埋めたところを見た人はいなんいんです。
 5寸角の、白につやがあるヤマト石ですよ。石が違うんですよ。誰がどういう目的でやったかわからない。多分、海軍がこっそりきて埋めたんじゃないかという噂。方位はあっている。ところで、下地から方角を知る簡単な方法があります。西表の由布島と小浜島の間の与那良溝、あすこがニーヌファ(子の方角)だといわれております。
 島の中央にヤズ道があった。これは南北に通っておるんですが、それを境界線にして東側をナカツバル(仲津原)、西側をナガマバル(長間原)といいました。仲津原の、仲盛の東のあたりは平坦になっておって、大雨の後は1週間ばかり水が引かなかったですよ。
 雨乞いの歌に、「ヤー ナカバロヌ タウナカヨー ハーリーユーンガナシィ」「ヤー タウタウバー イキナシヨー ハーリーユーンガナシィ」というのがあります。ナカバロ(仲原)というのがその仲盛の東の平坦な土地。タウというのは窪みのこと。雨乞いのときには、この窪みを池にしてください、と歌うわけですよ。はい。

7つの門の意のナナゾウワン。ジュゴンを祀る航海安全の旅御嶽
 下地の土地は燐鉱分があって、大昔は海鳥の島だったかどうかわからんが、肥料を使わなくてもものすごく作物ができるんです。粟から麦から豆からですね。粟なんかこんなに生えたですよ。焼畑やってこっちが終わったらまた次のところに行く。そうこうしているうちにまた草が生えて枯れて堆肥になるでしょ。とにかくぜいたくな土地利用でしたよ。
 ところで、下地には松が生えるけど上地には松は生えないんです。仲盛の東側のほうにが松は植えてあったです。これは大正のはじめごろに、卒業記念として西表から苗をもってきて、根っこを泥で固めて、茅でゆわえて持ってきて植えたそうです。そしたらみんな立派に生えたそうです。百本ちかくありましたかね。他にもナナゾウワン(七門御嶽)の近くの畑に松がありましたね。だから下地はどこでも生えるんだな、と。
 昔の人の言葉に、松は一里から水を呼ぶ、と。だから、水のない島には松は生 えないと。ところがですね、私が疑問に思っておるのは、黒島の学校に松が生えているんです。上地と同じく水の少ない黒島には生えておる。黒島にはどこかに水脈が流れているんですかな、と思っておるんです。はい。
 記念木といってですね、こんなに大きくなっておったけど、人がみんな島を出て行ったら、樵が来てですね、みんな伐って持っていったそうですよ。石垣から牛つれてきてからに引っ張らしたそうだと。そのころ私は豊原にいますからね、わからないですよ。
 それにですね、下地島には馬は育たないと言われているんです。なんでかというと、神の島だからと。カングニ(神の国)には馬は養えない、と。何を指してカングニといったか、はっきりはわかりませんが、イールワンの神様はキンマムン。偉い神様がいらっしゃるから、それで馬は養わないというたのかなあ、と思っとるだけです。はい。私は馬を触ったことにもないのに、軍隊では騎兵になってですよ。はい。



 


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