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トップ  >  はいの晄の八重山  >  野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第3話・新川ツルマのことなど|はいの晄の八重山

野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第3話

写真・文 はいの 晄
「ときどきこの人に神が乗り移るわけですよ。ですからこの人は、自分の家を神社みたいにして、 一番座に香炉も立てて、自分は西側のトーラ(台所)の場所に小さい家つくってそこに住んでおったですよ。」

第3話・新川ツルマのことなど


カンヤドルの清掃を行う守る会のメンバー
 カンヤドルという御嶽が村なかにあるんですよ。はい。神宿。これは天の神様が下りていらっしゃって、ここで宿をとって指導するといったようなところですよ。今でもそこを信じていますよ。
 ここは個人の家だったですけどね、ここの人に神がかりして神の啓示があったというんです。そしたらこの人は、司を集めて、こういう啓示がある、と。供物は全部同じ、人数は平等に分けてやれ、と。そして滞りない信仰をつづけろ、と。昔は氏子がそれぞれの御嶽にあったらしいんですがね。
 ときどきこの人に神が乗り移るわけですよ。ですからこの人は、自分の家を神社みたいにして、一番座に香炉も立てて、自分は西側のトーラ(台所)の場所に小さい家つくってそこに住んでおったですよ。東の母屋をカンヤドルとして。
 新川ツルマという人。慶応3年生まれかね。この人が27歳の時に神がかりがあったとか。
 この人は私らの小学4、5年の時に亡くなったのではないかと思います。沖縄カンプーを結った普通のおばあさんでしたよ。この人にはこんな話があるんです。
 パンゾウウワンはアールワン(東御嶽)の隣にあるんです。これはですね。この人が神がかって、「ここにマリニンが少ないから、うんと人を増やすようにここにウガンジュ(拝所)をつくれ」と。この人に啓示があって、パンゾウワンをつくったらしいんですよ。はい。

新川ツルマが神からの啓示を受けた場所がカンヤドルという御嶽になった。この西にはツルマの墓所もある。
 ところが、誰が密告したかわからんですが、島の人ではないですよ、「下地島では今までにない理由をたてて新しいウガンジュを建てて人心を惑わしている」と警察に密告したらしいですよ。そしたら警察がやってきて、そのウガンのウブ(聖域)もみんな壊してしまったと。明治27年ころの話です。  警察はツルマに「人心を騒がしているそうだな」と。石垣に引っぱっていって、留置してあったらしいですよ。そしたらですね、翌日見たらこの人がいないらしいです。これは一大事と総がかりして捜したらしいです。そしたらですね、観音堂の先のほうの離れた岩の上に、下地島に向かって座っておったらしい。
 牢屋の鍵もかかっておるのになんでこんなところに居るか、と。これは只の人間でない、と放免されて島に帰されたらしいですよ。はい。これからが、大変な人だと村中の人もますます崇めるようになったらしいですね。
 ああいう人だから、村の人は敬遠して、ツルマは島にやってきた久高の人と一緒になって子どもも3名くらいいたんじゃないですかね。母屋はもともと茅葺きだったらしいが、村のみんなで瓦屋にして、ここはウガンジュになったという話です。
 昔話には、この家の東側にはクロキやらフクギなどが生えていたらしいが、カンビュウル(神の日)には、カンビー(神の火)が灯ったといいます。ピダマ(火玉)は赤いですが、これは青い火らしいです。こういうのを見ると、ますます村の人はここは尊いところだと考えるようになったということです。はい。

アールワンの境内にある「ミロクがなし奉安所」
 行事になるとチカサは自分の御嶽に行く前に、みんなこっちに手を上げてが、それから自分の御嶽に行ったです。祭りのたんびに。
 カンヤドルについては、そのあと新川盛光さん(私らの小学校のときの先生でしたよ)の奥さんが見ておったが、大原に移転して、それから石垣に行って、沖縄に行った。あるとき沖縄本島におるカンヤドルの血統の人達が、いつのまにか、沖縄から準備してきて、これで全ての祭は終わりですとハジニガイをやったらしいです。そのとき私らは島を出て豊原にがおる。募金も納めたですよ。
 チカサたちはよくウクズ(御籤)で判じをしましたが、私が今でも不思議に思っていることがあるんですがよ。  村が崩れかかってはいたが、まだ祭りもやっておったころですがね。ミルク(弥勒)を拝んでいた人が石垣に引っ越したんですよ。この人が亡くなって、そしたらですね、祟りがおきたとかで、ミルクを島に戻して、代理を立てることになった。  私は丁度あのころ責任者やっておったからよ。ミルクを拝む人を立てようと村の人を集めてよ、司も呼んでからに、クジをつくって引かしたらですね、みんな戦々恐々。  これだけは今日の今まで不思議に思っているんですよ。ずーっと顔を見たらが、一人だけよ、顔色のさっと変わっているのがおるんですよ。ああ当たりそうだなと思っておったら、案の定その人に当たるんですよね。はい。
 そしたらですね、一回だけでは本人は承諾しない。しかし、もう1回、2回3回とやってもこの人に当たるんです。はい。こればっかりはですね、3回目には本人も納得しましたよ。だからこのウクズというのは、不思議だなあ、と。
 ミルクは結願のときにが出たね。ユーヌニガイといって。下地の面は登野城のものを見てがつくったそうだという噂はあるんです。ミルクは特に奉安殿などがあるわけではなく、ミルクを拝む人がその家に保存しておったです。
 現在は、アールワンの神様に「片隅をミルク奉安殿として貸してください」とお願いして、境内の一角に小さな祠をつくって納めてあるんです。そこに「ミロクがなし奉安所」と書いて。



 


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