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トップ  >  はいの晄の八重山  >  野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第4話・豊かな土地で|はいの晄の八重山

野底宗吉さんの昔語り 「ああ、ふるさと 下地島」 第4話

写真・文 はいの 晄
「清掃検査のときにですね、山羊は役場の人に見つかったらこれに税金かけられるというのがあったらしいですよ。だから、清掃検査の時は山羊は役場の人に見つからないように隠しよったです。」

第4話・豊かな土地で


現在は牧場になった草原を、御嶽をめざして進む「守る会」の人たち
 島では主に粟、麦、豆、芋など作りよったです。土地が豊かで広かったからよくできたですよ。だから、上地の人で下地に土地を持っている人もいたですよ。
 畑は焼畑ですよ。どんどん移動。土地は十分ありましたから。土質がいいですよ。畑は部落の近くにあって、それで十分だったから、耕作したあとはそれをそのままにして、また別のところを焼いて耕作して。地料があるわけでなし。
 土地はそのままのほうが肥えますからね。焼けた灰が肥料になるし、落ちた草がまた肥料になるでしょ。何回か回ってくればそこは肥えた土地ですよ。
 焼畑は共同でやる。防火線を切ってですよ、3メーターばかり茅などを刈って、風向きをみて、そして焼きよったです。焼いてからに、私はここで、と畑開けたですよ。
 普通、畑の石はあんまりとらなかった。次に移動すればいいから。土地はどれだけでもありますからね。むしろ人間が不足だったですよ。はい。
 粟をつくるときはヘラで浅く掘るくらいで大丈夫。燐鉱分があるということで、こんなにできた。粟は表面の肥料だけでこーんなにできたですよ。表土だけでね。粟は地表に根を張って地中にあまり突っ込まないですよ。だからこれの名前はですね、ニーウスイというんです。
 ニーウスイのミシャゴというと、粟の神酒ということです。粟の種子取祭には、「ニーウスイぬ粟のホ(穂)ミシャゴ、ユナウレ」と歌うんです。
 米は島ではできないですから、西表に通ってがつくりました。下地はハイミダ(南風見田)、上地はウハラダ(大原田)ですよ、昔から。田小屋もちゃんとつくってですね、水はいくらでもあるから、水には困らなかったです。
 僕らのときくらいから2期作になったけど、それまでは1期作でしたね。
 田植えは南風見田は1月からです。大原田は1月の終わりごろだはずです。春は南から来るんでしょうね、南風見田は立春に植えるんですよ。大原田は雨水の節に、一節遅れて植えると決まっておったんです。田植えはユンタ唄いながらやったですが、早い人と遅い人がいるんですよね。はい。
 米の種子取祭は南風見田の田小屋でがやりましたね。また、米は藁のまま伝馬船で島に運んで、干して、各人でシラをつくった。粟のシラもあったですよ。


マラパイアワンの前で登野原さんと新川さん。
 牧場もですね、下地と上地の牧場はですね、西表にがそれぞれ場所があったですよ。上地は今の大原部落の山手のほうにですね、下地のは今の豊原部落と南風見田の間ですね。下地の牧場はちゃんと石垣積まれてですよ、牧場の番人を立てておって、島から未婚の青年を二人くらい、1か月交替くらいで。毎日垣を回って見るわけです。
 水もちゃんと飲めるように川もあって、子牛が生まれたら、人を頼んで捕まえて子牛の耳を、鎌の先を研いでですね、これでミンバン(耳判)を切ったそうです。
 昭和7、8年ごろかな、ピロの病気が蔓延して、ある博労は、あちこちの牧場からピロにかかった牛を安くで買って、それを炭鉱に持っていって売って、炭鉱の親方はそれを鉱夫に売ったのもあったということですよ。はい。
 下地の牧場と田んぼは隣どうしであったから、田んぼの収穫が終わると、牛を田んぼにも開放して自由に草を食わせていた。そして、いよいよ米を植えるときに、みんなで牛を牧場に追い込んで門を閉めたんです。
 島にも牛はおりましたよ、はい。みんな野つなぎで、牛小屋なんかなかったですよ。農耕用ではなくて、多くは牛を育てて売るのが目的。博労が買いにきよった。大きな金を握ろうと思ったら牛がいちばんよかったですからな。
 家畜はほかに豚とか山羊とか。平均して一家に、豚は1、2頭、山羊は5、6頭くらいいたんじゃないですかね。清掃検査のときにですね、山羊は役場の人に見つかったらこれに税金かけられるというのがあったらしいですよ。だから、清掃検査の時は山羊は役場の人に見つからないように隠しよったです。いつもは屋敷の中で飼っておったですから、それを山に連れて行ってですな。
 鶏はそれぞれの家に20〜30羽くらいおったです。鶏は放し飼いで、自分のうちの鶏がよその家の鶏と混ざっていても、夕方は自分のうちの木にが登って眠ったですよ。そして、不思議なもので、主は、自分のうちのものはすぐわかったですね。
 戦争で中国に行ったときに、むこうも、鶏、犬、猫、豚、みんな放し飼いですからね、田舎は。竹薮の中にクンクンしておるんですよね。ところが、夕方になったらみんな自分の家に帰りよったですね。動物というのは不思議なもんだな、と思ったですね。島では豚はもちろん囲ってがおったが。アヒルは島にはいなかったです。なんでかというと、水があまりないからですね。はい。
 犬は、カマン(イノシシ)を捕る人が持っているだけで、別に愛玩用で養っている人はいなかったですね。
 猫はネズミをとるからヤーカズ(家の数だけ)おったです。ネズミはもちろんたくさんおったですよ。野鼠も。
 ネズミは人の話を聞くそうだ、と言われておりました。だから、悪口するといろいろモノを齧ったりワチャク(悪戯)するというわけで、これを崇めてですよ、ネズミが増えたというのを、「ミーユミヌ ペーリケンドー(新しい嫁が入ってきたよ)」と、ネズミだといわないようにしてですね。それだけネズミの害は大きかったということでしょう。



 


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