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五穀豊穣 の文化誌 八重山のイモ、楽し

文=八重山食文化研究会 増田 昭子
五穀豊穣 の文化誌 八重山のイモ、楽し



 沖縄の主食はイモと定説のように語られ、米を主食にできない貧しさの象徴のように語られてきた。しかし、昭和30年頃までの日本で米だけの飯を主食にしてきた日本人は少数派である。米に五穀(雑穀)やイモや野菜類を増量材として入れて食べていた。実はこれが健康の素で、多様な食材を毎日食べることで健康を維持できた。沖縄のイモ食はその典型である。全国一位の長寿県を支えていた食の習俗はイモ類とマメ類、野菜・野草類である。
 八重山のイモの栽培の特徴は、さぐり掘りで、蔓挿し法ともいう。イモの蔓を土に挿し、そこから根茎が延びてでんぷんを作った塊がイモ。イモが大きくなると、土を持ち上げる。それをハノシ(カノシ)という掘り棒で掘る。小さいイモは土に埋めておけば、そのうちにまた大きく育つ。その時に蔓先を土に挿せば、またイモができる。3、4年同じ畑で繰り返し作ることができる手間のかからない合理的農法だ。八重山のイモは、本土のように一年ごとに植付けと収穫をするのではなく、何年も作り続けることが可能な多年草の栽培作物なのである。ただし、蔓挿しでできる品種があり、ミヤナナゴ、ユルクラガーなどが有名。この栽培法はソロモン諸島やボルネオ島、アフガニスタンなどでも見られる。畝立てせず、平植えで蔓を自由自在に延ばさせ、その中に大根やカボチャなどの作物も混作する。混作は、トウガラシ、ニンジン、ピーマン、ネギ、ヘチマなど多彩な野菜を所狭しと混ぜこぜに植えるもので、これもアジアの国々の畑作文化である。イモや野菜の混作を奨励したのは、18世紀の琉球王朝の宰相蔡温で、まさに伝統の農業技術である。
 イモの食べ方も絶品である。ウンヌイ(イモ飯)は先号に書いたので、イモモチを紹介する。生のイモをすり下ろして月桃の葉などで包み、蒸した物がイモモチ。トンガにもあるイモモチ。イモを潰して形を整え、油で揚げた饅頭もある。イモの形を一度崩し、形を整えて油で揚げる調理法は本土にはなく、むしろ中国に多くある。これもアジア圏の食文化の一つ。



 イモが沖縄にもたらした神の最大の贈り物は「ムイ・アッコン」である。「ムイ・アッコン」とは、畑の持ち主が実ったイモを掘り上げた後に残った未熟なイモのことで、このイモはだれが掘って食べてもよい、という暗黙の了解があった。貧しい者や戦後の食糧難の時代に移住してきた人たちはこの「ムイ・アッコン」で命をつないだという。八重山の庶民がいつの時代から始めた慣習なのか不明だが、社会福祉政策の一つであった。「ムイ・アッコン」で石垣島に住み続けることができたと語る老人は健在で、来る日も来る日もウンヌイとイジル(魚汁)を食べ、そして働いたという。私の郷里会津に「喰える村」にしたいと戦後、ジャガイモの増産に若者たちと取り組んだ長老がいた。地域社会から一軒の家の潰れも出さないための努力や習俗は全国各地にあり、そのために尽力した人たちのおかげで現代社会があるのだと思う。イモは負の食糧ではなく、時代と空間を超えて、人々の命を救うものだと二つの地域は教えている。私の、八重山で知った最も人間として心に留めておきたい話が「ムイ・アッコン」である。私は「ムイ・アッコン」になりたい。




 


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