石垣島を中心に八重山諸島全域の観光・旅行・イベント・ニュース・伝統行事など八重山にこだわった地域密着型情報を日本最南端の出版社「南山舎」がお届けします!

やいまねっと

やいまねっとメニュー
サイト内検索
南山舎の本

月刊やいま年間定期購読
島の手仕事第14回パピルス賞受賞!
南山舎やいま文化大賞
八重山を読む メニュー
話題チャンプルー
八重山手帳2018年版 先行予約開始!
とぅばらーまの世界
やいまねっとに広告を掲載しませんか?
自費出版のご案内

トップ  >  八重山民話  >  人頭税と島分けの頃 |八重山民話

人頭税と島分けの頃

文 切り絵/熊谷溢夫
人頭税と島分けの頃

 首里王府は貢献物の増産のため、八重山の島々から、田畑の作れる西表島と石垣島に島人を移住させ、土地を拓かせることをしました。各島々の人は家族ばらばらに引き離され、若い恋人たちも有無を言わせずに引き離されました。そんな悲しみやうらみを唄にしたものが、たくさん残されています。石垣島の「野底マーペー」などはよく知られています。
 竹富島や黒島や波照間島から西表島に移された人たちもいました。
 今回の絵は、竹富島から西表島へ恋しい男をつれ去られた娘を唄ったものです。別れの時、男は娘に「もし、古見岳の上に月が出たら、私だと思って見守っておくれ」と言い残しました。娘は男に向かって、「仲嵩の上に雲が湧いたら、私がそこにいる」と思ってくださいと言います。そんなことで何時までも変わらない自分の気持ちを伝えあったのです。その頃は、石垣や西表では、怖いマラリアが流行っていて、再び生きて会えるかどうかわかりません。その時の恐れがひしひしを伝わってきます。


>熊谷溢夫著『美しい自然があるからみんな元気で生きられる。』
>熊谷溢夫の切り絵・ポストカード


 


運営会社情報個人情報保護方針サイトポリシーお問合せバナー広告について
 
Copyright© 2007 NANZANSHA, All rights Reserved.
本サイトに掲載されているすべての記事・画像の無断転載を禁じます。