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県視学、比川分教場へ 小さな村に絵物語のような行列

文=通事孝作
県視学、比川分教場へ 小さな村に絵物語のような行列

沖縄県視学・渡嘉敷緩長らも出席し、与那国島で学校経営研究会が催されたのは、昭和一〇(一九三五)年二月二六日である。視学は、教育行政に関する指導助言を行う。
 日程は二八日までの三日間で、初日は祖納にある与那国尋常小学校(高等科を併設)を会場に、研究発表である。比川分教場主任・那根亨(ル・とおる)は、与那国の学校が学校経営研究校に指定されて以来、取りくんできた「話し方指導」の推移や経過について語った。
 そして二日目。比川、久部良の分教場めぐりである。
 当時の比川分教場は教員二名、児童数約六〇名。那根は四、五、六年、三年以下は具志という女教員が担任だった。
 県視学をはじめ比嘉賀新・八重山視学、郡内の各学校から一、二名あて派遣された教員、それに与那国の教員など、並みいる参加者たちの注視の中で、いよいよ那根の担任のクラスの授業がはじまった。彼は書いている(「思い出の記」)。
「私の学級では、話し方の実演を児童にさせたが、どの子もハキハキした言葉で発表してくれたので、私は胸をなでおろした。昨日発表した『話し方指導』の裏付けができたと思ったから。三学年複々式の学級の中で不便な学習をしている子らであるが、とても素直でよく精出してくれた」。
 そのときの児童に、のちに与那国小学校長になる嵩西昇もいた。
 比川は、小さなさびしい集落だった、という。
研究会の参加者は皆、与那国馬に乗って、分教場めぐりをした。祖納から比川へーもそうだったが、比川から久部良へ行くのも、そうした。
「私も区長のご好意の馬にまたがって、一行と共に行列を組んで久部良へ向かった。延々と続く乗馬姿の行列は、なんだか昔の絵物語の絵図を見るような感じがした」。
 長い教員生活を終え、彼が西表島祖納の自宅でこう記したのは、四三年後の昭和五三(一九七八)年六月である。よほど印象が強かったのだろう。はなやかな行列とさびしい村のたたずまいの対照が……。


 


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