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「アナブ」が消えた島

文=通事孝作
「アナブ」が消えた島

 波照間島では沼地、池沼のことを方言で「アナブ」と言う。池沼のことを、なぜ「アナブ」というのか、その語源は詳らかではない。その「アナブ」は農家の飼育する、牛や馬の水飲み場として利用されていた。昭和三十年代が全盛期だった。
 五つの集落からなる農業の島には、十ヵ所以上の「アナブ」があった。「ミザトゥピナアナブ」、「フンバリアナブ」、「タチジュウアナブ」など…。その中には壁に石積みを施した立派なものもあった。各集落には「アナブ」は設けられ、水飲みの時間になれば、牛や馬を引き連れた農家の人たちが、水をやるため「アナブ」を訪れた。咽の渇いた牛や馬は、水をがぶがぶ飲み、満足そうだった。
 当時は畑を耕す耕耘機やトラクターがまだ十分に普及していない頃で、牛や馬は貴重な動力源だった。各農家には必ず牛や馬がいて家族と同様な扱いを受けていた。馬にはサツマイモを砕いたものを餌として与え、自宅に馬小屋を拵えて養っている家庭もあった。牛は、原野に放し飼いし、野原の草を刈って与えた。このように牛や馬は大切な動物だった。
 大人にとっては農耕用の大切な動力源だったが、子どもたちにとっては絶好の遊び相手であった。
 時々、馬を鞍のない裸馬にして草競馬を楽しんだ。そして、父親にこっぴどく叱られた。また、「アナブ」で馬、牛に水を飲ませている間は、そこで泳いだり、俄か釣竿を仕立ててテラピアを釣ったりしたりした。だれがテラピアを沼に放ったのか、明らかではないが、それは泥臭く食えたものではなかった。
「アナブ」の深さは、子どもの身長より深く、底なし沼らしきのもあれば、比較的に浅いものなど千差万別だった。泳いでいる時に牛や馬の糞が近く寄って来て往生したこともあった。ゲームに興じる今の子どもたちと違って、遊ぶ相手は自然であったり、動物だったり、実にユニークであった。そこには一種の“オアシス”があり、時間はゆったりと流れた。「アナブ」が全盛の時代は、小さな畑地が石垣や樹木に囲まれ、でこぼこ道は海岸線に向かって放射線状に延び、随所に森林が広がっていた。
 畑地を鋤き起こす動力源が、牛や馬からトラクター、耕運機に取って替わると、時代の趨勢なのか、「アナブ」も徐々になくなっていった。しばらくして、大規模な土地改良事業が導入され、島から「アナブ」が姿を消した。


 


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