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ほとんどが茅葺の集落

文=米城惠
ほとんどが茅葺の集落

 大正一二年/一九二三年、本山桂川(一八八八〜一九七四)が与那国を訪れたとき、家屋は祖納集落に瓦葺(かわらぶき)が少し見受けられるばかりで、多くは平屋建ての茅葺(かやぶき)であった。周囲は生垣、あるいは竹柴を用いている。
 地割は東を狭く、西を広くとり、家は南向きに建てるのを良いとする。門口を「どぅぐぅてぃ」といい、門口をはいると「まいす・てぃ」(目隠塀)、目隠塀の内側に石の盥(たらい)がある。これを「てぃはんあらい いちたらい」という。てぃはんは手足、つまり手足を洗うための石盥である。ふだん、人々ははだしであった。
 正面の広場は「みなが」(前庭)と呼ばれる。
 家は母屋、母屋に隣接して「ちむぬだ」(炊事場)がある。両方の屋根から落ちる雨だれを樋を渡して受け、水瓶にためる。
 各家に防火用の石盥に並ぶように、種籾用の稲などを保存する「しら」、それに「みたやてぃ」(鶏小屋)がある。
 みたやてぃの立派さと養鶏熱は、本山より三〇年前に与那国を踏査した笹森儀助がその著「南嶋探験」のなかで『其住所ヨリ一層鄭重ナル家禽室ヲ設ク。恐クハ全国中ニモ一村挙(ル・こぞっ)テ養鶏ニ注意スル、如(かくの)此(ごとき)ハアラサルヘシ』と讃めるほどであった。もっとも、人々はいまだ鶏糞が肥料として役立つことを知らない。
 ところで、茅葺の家屋の住み心地は? わたしは小学校一年のとき、台風で家の倒伏するのを体験した。波多港近くの親戚の家で、土地柄、あたりは逆巻く怒濤がとどろき、潮まじりの風が猛烈であった。さすが長時間耐えた家も、屋根の形は保ったまま、膝を崩して楽になる―そんな趣で倒れた。その倒れ方がいかにもやわらかい雰囲気で、恐怖を感じなかったのを覚えている。それは子どもだったせいもあるが、家が茅や木材、くばの葉、大名竹、黒つぐなど、植物性の素材で組み立てられていたことが大きいだろう。
 台風一過―屋根は古い茅に新しく刈り取ってきた茅を六割ほどまぜて葺き替えられた。宮良保全(故)は、町史民俗編の中で、古い茅は煮炊きの煤が浸透して変化、堅くなっている。新しい茅とまぜると通気性が増すことを人々が知っていたからだ、と住まいの知恵を伝えている。


 


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