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西表島ジャングルでの米軍の軍事演習

文=通事 孝作(竹富町史編纂委員)
西表島ジャングルでの米軍の軍事演習

 「日本で最後の秘境」などと呼ばれる西表島は、森林資源が豊富な地域である。島全体が亜熱帯性多雨林に覆われ、東部、西部、北部にある平地の一部を除き、山岳地帯が広がる。また、規模は小さいながらも、別名、「東洋のアマゾン」とも言われ、島の中央部に行くと、森林は亜熱帯ジャングルを想起させる。それこそ悠久な大自然は別世界を髣髴させる。そのため亜熱帯林を利用して戦後の昭和三十年代の一時、米軍よる軍事訓練が展開された。
当時、沖縄を軍事占領し、直接統治下に置いて政治、経済等あらゆる分野に多大な影響を及ぼした米軍は、沖縄本島を中心に「銃剣とブルドーザー」の名のとおり、県民の意思を踏みにじる形で軍事基地を拡張していった。併せて、軍事演習や訓練を強行していった。西表島における演習も、当然、沖縄本島との一翼であり、その潮流の中にあった。
米軍は戦後、数年間に西表島に注目、演習場としたことがある。ここで米軍がとった行動は軍事演習の傍ら、「剛」と「柔」の使い分けだった。要するに「剛」の恐ろしい顔と、「柔」の人当たりの良さの顔である。要するに米軍は極力、地元の人々と友好関係を保ち、地元民の感情を逆撫でしない作戦をとった。一種の宣撫工作だったといえよう。そのひとつに地元の住民とスポーツ大会を開いたり、サバイバルゲーム等を企画したりした。それでも、若者のなかには米軍の魂胆を見抜き、それを拒否する人たちもいた。
写真は米軍海兵隊が一九四六年(昭和二一)頃、西表島の鹿川湾から島に上陸したところ。そして、クイラ川上流までの上陸作戦に船浮に住む井上文吉さん(故)が案内した。島の南海岸は切り立った断崖が続いている。作戦の途中、一服し休息をとっているシーンであろか。団員の中には、現在地を何かポイントで示している人もいる。
西表島西南部に関連する新聞記事として、マチューズ隊長に関するものがある。同隊は沖縄復帰資材伐採のため、西表島に駐屯している。当時、軍の上陸作戦、材木切り出しと西表島は脚光を浴びていた。直接、マチューズ隊は軍事とは関わりはないようだが、軍事演習が始まる以前に、伐採隊が活躍していた。
西表島の歴史を遡ると、炭鉱とともにパルプ材の生産地として開発されたことが浮かび上がってくる。米軍演習は、忘れられた、知られざる西表島の裏面史として語られている。
 西表島東部の野原崎の付近の県道二一五号線(県道・白浜―南風見線)沿いに、軍事演習があったことを裏付けるコンクリート製の記念碑がひっそりと建っている。車窓から眺めると、見逃すほど一気に通り過ぎてしまう。


 


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