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ナンタの港にバンザイの声

文=米城惠
ナンタの港にバンザイの声

― 親睦のよろこびのうちに竹富町選手団を見送る ―
 海で隔てられていても、いわば隣近所。もっと仲良くするには? 考えると、そこにスポーツが浮かび上がってきたのだろう。
 竹富町と与那国町のスポーツ交流大会は、会場を交互に移しながら、回を重ね、親睦を深め合った。
 一九六四(昭和三九)年は、七月十一日、十二日の両日、与那国町で開かれた。竹富町からは崎田永起町長を団長に、大勢の選手団が与那国島を訪れた。波多港では「歓迎竹富町」の横断幕をバックに、仲嵩浩明町長はじめ多くの人々が出迎えた。
 初日、久部良小中学校で野球、バレーボールに熱戦が展開され、二つの種目とも竹富町が勝った。
 二日目は、会場を祖納の与那国中学校に移し、陸上競技大会が。結果は与那国町が総合得点百五七点で、竹富町の百二九点を押え優勝した。
 大会は歓迎を受けているシーンや健脚を競う選手の活躍の様子など、印象深い、感動的な場面を数多く残したが、みなさんごらんの写真は、大会を終えた竹富町選手団の出船の光景である。
 船は第三鹿港丸。乗組員だった村本福利さん(七八)によると「木造から鉄船に代ったころで、そのため石垣への所要時間が五時間ほどちぢまり、七、八時間で行けるようになっていた」という。
 普通、出船といえばテープと涙がつきものだが、そんな趣がそこには微塵もない。親睦を深めたという実感に支えられてのことだろう、船上、埠頭の双方から、期せずして「万歳」が沸き起こった感じである。その瞬間を、カメラはとらえた。
 撮影者は大底朝要さん(八重山古典民謡保存会)である。西表東部がバレーボール選手を派遣することになって、そのころ西表に住んでいた大底さんは、応援団の一人として与那国に渡ったそうだ。大底さんといえばただちに八重山古典民謡をイメージするわたしにとって、大底さんとカメラとの結びつきは、いささか予想外のことであったが、ここには四七年前の波多港の一コマと周辺の雰囲気が定着されている。
 慶田智恵子さん(七二)にとって、背景の右手「てぃばが」(与座家)、「うぶしか」(請藏家)と続くあたりは実家・東迎をふくむ、なじみの土地であった。「与座家から請蔵家まで、石垣沿いにひと一人が通れる位の『いちくだあみてぃ』(石ころ道)があってそこをよく往き来しました」。
 また、波多港でいったん船を見送った人も、この細い石ころ道を走って浦野にまわり、浦野から北海岸沿いに東崎まで|と、海上の船を追って名残りを惜しんだのである。「ドゥナン・スンカニ」にもうたわれている、古くからのならわしであった。


 


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