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土地公祭の現在

文・写真 = 森田真也


はじめに

 静かにたたずむ名蔵御嶽に一年に一度、供物である大きな豚、「土地公」の神像と香炉が運び込まれ、爆竹が鳴らされ、紙銭が燃やされる。そして、多くの台湾系の人たち(台湾系華僑・華人、台湾系日本人を含む)が集い、神に祈り、久しぶりの再会を楽しむにぎやかな時が過ごされる。そこには「台湾」の時空が再現され、ひと時のあいだ共有される。
 石垣島在住の台湾系の人たちが中心となって行なわれている「土地公祭」は、豚を供物として捧げることから、通称「豚祭り」と呼ばれている。本来、土地公である「福徳正神」を祀るもので、豊作、商売繁盛、幸福と無病息災を祈願するものである。
 沖縄において神を祀り、祭祀を執り行なう聖地を「御嶽(ウタキ)」という。八重山では、一般的に「オン」と呼ばれることが多い。名蔵地区にある名蔵御嶽もまた八重山の重要な聖地として、古い時代から信仰を集めてきた場所である。

土地公祭の移り変わり

 土地公祭のいわれには諸説ある。戦前、最初の祈願は、名蔵・嵩田地区に入った台湾出身者が個人で行なっていたようである。農地を切り開き、豊作を祈願する人がいた。マラリアや干ばつといった、病気や自然災害の回避を目的とした人もいた。また、差別やトラブルを避け、生活の安寧を望むことを祈った人もいたようである。
 いずれにしろ祭祀の動機は、移動という行為がもたらした直接的な体験であろう。土地公を移り住んだ先で祭祀することは、違いや新たに参入した者であることを意識しながらも、その場所において自らの存在を確認し、さらに自分たちと土地とを結び付けていく実践だったのであろう。
 それが一九三五?一九三八年頃、林発氏ら当時のリーダたちを中心にして、台湾系の人々全体で土地公を祀るようになった。その核となったのが「台友会」、後に続く「琉球華僑総会八重山分会(以下、総会)」である。そして戦中の中断をはさみ、一九四九、五○年頃再開し、集団で祭祀を行なうようになった。一九八一年頃から、有志が「福徳正神会(土地公祭期成会)」という会を結成して、祭祀を行なっていた時期もあったが、二○○七年、再び総会が中心となっている。

現在の祭り

 土地公祭は旧暦八月十五日が祭祀の日となるが、近年では土日に祭礼を行なう場合もある。二○一○年は、九月十九日の日曜日に開催予定であったが、台風十一号のため同二十二日に変更となった。祭りの全体を仕切るのは、総会会長の呉屋寛永さんであるが、祭主となるのは「炉主(ローツー)」といわれる代表者である。二○一○年は、龍翔園の簡田記美子さんが三年連続となる炉主を務めた。参加者は中高年の女性が多く、約六十人ほどであった。
 全体の流れは、天公への祈願、余興、土地公への祈願、次期の炉主の選出となる。まず爆竹が鳴らされ、炉主の先導で「天公」への祈願が行なわれた。天公とは、「玉皇上(大)帝」という、通常天にいる、全ての神々を統括する神のことである。炉主の「拝拝」、「上香」、そして三つの杯に「敬酒」が行なわれた。その後、一般の人々の上香となり、名蔵御嶽の拝殿の上の神香炉にも台湾特有の長い線香が立てられた。そして、会長の呉屋さんの挨拶となった。全員参加で「焼金」という、神に捧げた紙銭を焼くことが行なわれた。余興では、総会女子部の人たちによる踊り「台湾楽しや」、「夜来香」の二点が奉納された。
 その後、土地公の神像と香炉の位置、豚の位置が拝殿の方向に反転され、土地の神である土地公の祈願となる。炉主の拝拝、上香、敬酒が行なわれた。そして、一般の人々の上香が行なわれ、さらには焼金となった。
 本年は次期の炉主希望者が出なかったため、簡田さんが連続して炉主をすることを神に伺う、「擲 (ポアポエ)」という半月状の木片を用いる占いがなされ、無事承認された。これによって祭祀は終了し、爆竹が鳴らされた。

祈る人々

 土地公祭では、総会、そして炉主から盛大な供物がなされる。あわせて多くの人々が、自ら供物を用意して祭祀に参加する。拝殿の前の丸テーブルには、個人で用意した豚肉、鳥肉、魚の三牲、赤い亀の形をした紅亀餅、桃の形をした饅頭、果物、菓子、酒(泡盛)等が所狭しと並べられた。
 今日では、台湾系の人たちの生業も農業だけでなく、商業や飲食業、サービス業等とその職種も居住地も広がっている。人々は、それぞれに線香を持ち、高く掲げて、豊作、商売の成功等、各自の希望する願いを込めて祈る。本年は、ある祈願がかなえられた感謝の意味で、豚が一頭、総会とは別に個人から納められた。そのため、豚は総会からの「公豚」と合わせて二頭となった。これらの豚は、祭祀終了後、別の場所で解体され、分配された。

おわりに

 異郷の地に移り住み、そこで自らの出身地の神を見出した人々。その多くが、一九七○年頃に日本に帰化している。世代が進み、現在ではアイデンティティも一様ではなく、中には祭祀へ参加することをやめた人もいる。一方、熱心な信仰を持つ人々の間では、新たな土地公廟の建立を望む声もあるという。様々な思いがあるが、名蔵御嶽に集う世代を超えた台湾系の人たちの姿をみると、土地公祭にはこの地に渡ってきた先達たちの軌跡が凝縮されているように思えた。
 御嶽に豚が供され、土地公が祀られるという風景は、ある種不思議な空気感を醸し出している。移動という行為は、境界の意識化と思いもよらぬ文化的な要素の習合を生みだす。しかしながら、そこにあるのは恒常的な融合でもなければ、対峙的な関係でもない。線香と紙銭を焼く煙の間から垣間見えるのは、聖なる空間における一瞬の緊張と邂逅…。
 まだ暑い日差しの中、人々が明るい表情で日常の生活と営みに戻る時、片付けの終わった名蔵御嶽はいつもと変わらぬ蝉時雨に包まれる。



森田真也(もりた・しんや)プロフィール
筑紫女学園大学文学部教員。民俗学・文化人類学専攻。八重山諸島の祭事行事、女性司祭者を主な研究テーマとし、1993年以降、主に竹富島、石垣島で調査を継続している。


 


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