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カヤダが主流だった頃

文=米城惠
カヤダが主流だった頃

― 黄疸にかかったような集落の色合い ―
 茅葺き家のことを、与那国方言ではカヤダという。カヤは茅、ダは家のこと。住生活を中心に、茅と人のつきあいは長い。
  一四七七年、与那国島に漂着した朝鮮済州島民が帰国後に残した見聞(『成宗実録』一〇五巻)にも「家は一室だけで、前面は高く後面は地に垂れて茅でふいた。家のほかに楼庫があって、収穫した稲・粟をたくわえている」と記されている。文献で知ることのできる最も古い与那国の一端である。
  それから四一六年後の一八九三(明治二六)年、青森の士族・笹森儀助が琉球諸島を巡回、与那国にも歩をすすめた。そのとき島は人頭税制下にあえいでいた。彼は八月一日から三日間滞在しただけであったが、小学校教員、巡査、官吏らの証言を通して与那国の社会状況を剔抉する一方、人情や風物に触発され、その感想を後にあらわした『南嶋探験』に収録した。
  その中で笹森は、家の周囲は生垣、竹柴を用い、家ごとに住まいよりいっそう鄭重なる家禽室を設けている。「恐ラクハ全国中ニモ一村拳ッテ養鶏ニ注意スル、如何ハアラサルベシ」とまで讃めている。
  茅葺き屋根をつくるため、茅の繁茂している刈取場所は、牛馬の侵入を防ぐなど、管理していた。そんなところを、石垣あたりではガヤヌー(茅野)といった、という。
  カヤダは、戦後、それも一九六九(昭和四四)年冬、民俗学者・谷川健一氏が訪れたときも、なお、嶋仲集落の主流であった。 
  祖納部落の入口にさしかかると茅の屋根をたくさんのほそい割竹でしっかりおさえた集落がひとかたまりに立っていた。石垣のかわりに竹垣で家をかこっている。台風で家が飛ばされることがあっても、茅と竹があればすぐに作りかえることができると軽く考えているような簡素さが、この集落のあたりにはただよっている。与那国島にくるまで赤い屋根瓦の風景にみなれた私は、黄疸にでもかかったようなこの屋根の色をみて、そこはもう台湾あたりとさしてかわらない気がしてくるものだった。
  その後、カヤダは一九九〇年代に、一軒だけ久部良集落で確認できたが、いつの間にか姿を消していた。数えてみると、与那国の人々のカヤダでの暮らしは、朝鮮済州島民の記録の時からだけでも、五百年は続いていたことになる。


 


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