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吉野・八重山 民政府知事と議員たち

文=通事孝作
電話通信の夜明け

― わずか十ヶ月、過渡期の任命議会 ―

 終戦の翌年、すなわち一九四六(昭和二一)年から五〇(二五)年の群島知事、群島議会議員選挙までの五年近くの間、知事も議員も任命制度がつづいた。その制度のもとで首長は八重山支庁長、八重山民政府知事、議員と議会は八重山支庁議会(議員一〇人)、八重山郡会(議員一八人)、八重山議会、八重山民政府議会─と、名称も規模もあわただしく移り変わった。そのあたり、わかりにくいことが多いが。
 さいわい、八重山民政府議会議員だった宮良泰平(一九〇四〜一九八八)の回想が残されている『市民の戦時戦後記録 第三集』(「石垣市史」)。
 一九四九(昭和二四)年の暮れも押し迫ったある日、八重山民政府の総務課長が、石垣市登野城にあった与那国町出張所を訪れた。民政府の総務課長は、所長の宮良泰平に対し「軍政府令によって正月に発足する八重山民政府議会の議員に任命される予定ですから、ご承知ください」と告げた。「まさに晴天のへきれきでありました」と、のちに彼はこの話題の採録者(慶田盛伸)にその時の気持を語っている。その頃、与那国は、いわゆる闇景気の渦中にあった。彼は他の一人の男性職員とともに、米軍政府や八重山民政府、町昇格まもない与那国との間の連絡調整にあたっていた。そして、この年の八月二四日には、吉野高善・知事の協力を得て米軍政府に働きかけた与那国島一周道路(ヘイズ道路)も出来上がり、仕事は軌道に乗っていた。
 明けて五〇(二五)年元日、八重山民政府に集まった議員たちは、少し大げさにいえば、その方面の強者揃いであった。
 ところが、任命議会ということで、世間の風当たりは強く、これまで衛生(マラリア)や教育、財政に実績を上げてきたものの、そんなことなど評価されず、宮良自身も「任命議員はアメリカから知事に贈られたアクセサリーだ」とか「ただのプゾー(煙草入れ)だ」とからかわれる始末。もうひとつ、九月には軍政府命令一九号により、群島政府知事、群島議会議員の総選挙が予定されていた。いわば、彼らは、任期が十ヶ月のはなはだ評判の悪い任命議員であった。それでは意気も上がらない。それだけに民政府議会は、「開店休業の状態で閑散としていました。(中略)ただひとつ仕事らしい仕事は、五〇年度予算案を審議したことであるが、これも開議のあと休憩に入り、宿直室の畳の上で空茶を飲みながら二、三時間でまとめた」ものであった、と宮良はいう。ほろ苦いユーモアすら漂う、戦後史の一断面である。


 


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