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寄宿舎での寮生活

文=通事 孝作(竹富町史編纂委員)
寄宿舎での寮生活

 日本復帰前の竹富町の小中学校は、統廃合を繰り返している。そのなかでも西表島は顕著であり、十数年前に、「中学校は島の東部と西部に一校ずつの、二校あればよいではないか」、という町議会での強硬な意見があったが、少数意見の上に、時の町長の反論により一蹴、立ち消えした。現在、第二次ともいうべき学校統廃合が持ち上がっており、地域住民の間に論議を呼んでいる。
 竹富町教育委員会は、琉球政府が発足した一九五二年(昭和二七)、学校統廃合計画案を樹立して計画を推進した。竹富町の学寮問題は、一九六三年(同三八)、中学校統廃合に連動する形で発生した。それは県内で初めて公立中学校に寄宿舎制度を導入することで、全県的にも注目を集めた。
 統廃合計画を最初に実行したのが西表東部地区の大原・古見、それに島からなる上地・由布の四中学校。統合計画は一九六三年(同三八)四月一日付けで、四校を大原中学校の一校にまとめるもので、上地・古見・由布の三校は廃校にするものだった。
 学校統廃合でクローズアップしたのが海を隔てた島にある上地中・由布中、それに大原から山野を越えた遠隔地にある、古見中の生徒をどのようにして通学させるか、ということだった。上地中の場合、海を越えての船舶による登校は不可能で、さらに古見中・由布中は長距離の山野を越えての登校は危険が伴うものとして困難だった。このなかで考案されたのが寄宿舎制度だった。
 実現した寄宿舎には上地・古見・由布の生徒が親元を離れて集団生活を行い、共に勉学に励む生徒や、ゆったりとくつろぐ生徒の表情があった。出身地の違う者同士が同じ場所で過ごす、この中から友情が芽生えたであろう。また、大原の生徒は自宅から通学するという、それぞれ違った教育環境のなかであるが、少なくとも上地・古見・由布の生徒とは友情が育まれ、充実した教育は営まれたかも知れない。
 寄宿舎規則によると、寄宿舎は大原中学校の男子寮・女子寮と称し、スタート当時、約四十人の生徒がいた。寮則では協同・友愛の精神の涵養、清潔・整頓をうえつける、などを目標に掲げおり、これに従って生徒は集団生活をしていた。日課は寮則に則り、厳正に決められた。写真は学寮の内部を撮ったものである。中学生の寮生活。実際のところ、楽しいこともあれば、窮屈な点もあり、日々により、浮き沈みはあるだろう。 寄宿舎制度は、上地島の生徒の激減、古見・由布は交通事情の発達により、一九七五年(同五〇)、廃止を余儀なくされた。



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