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トップ  >  コラムちゃんぷる〜  >  与那国島  >  ひと恋しい、島の情緒|与那国島コラムちゃんぷる〜

ひと恋しい、島の情緒

文=米城惠

― イレネーを待つ なんた浜の人、人 ―

 与那国の遠目番人が昼夜交代で詰めていたのは、島の東端「あがいさてぃ」(上り崎)にさしかかるあたり、地名「だてぃくちでぃ」(屋手久頂)が示すとおりの岬の頂上である。海がパノラマのように広く、遠くまで見渡せる。
 普段、男たちは悠々と流れる時間にあわせ小屋のなかで筵を織っているが、彼らの職業を成り立たせているのは、この地の利を生かし、視界にはいってくる船形をまっ先にみつけ出すことであった。
 船を発見すると、男たちの動作が、一転、急テンポになる。合い図の立火や煙を立てる一方、ひとりは馬に打ちまたがり、「イレネー」と大声を上げながら、祖納集落にある「あさんぎ」(番所)をめざして馬に鞭をあてる。イレネーとは、入船のことである。
 帆船から近代的装備の船になっても、石垣や西表の往復さえ、風と潮の都合で十数日を費すのが常であった。事実、一九二一(大正一〇)年、石垣に滞在していた柳田国男は、石垣にくる与那国の船便を「海上が五十幾里、冬は殊に浪が荒いと云ふが、それでも折々はあちらの船が、前触れもなしに鳥などのやうにやって来る」と表現している。
 その二年後の一九二三(大正十二)年、与那国を訪れた本山桂川は、こんどは島の人々が、入港の船影を認めると、われ先に戸外に飛び出して声高く「イレネー、イレネー」と呼びつれながら、なんた浜に群れ集うようすを写真に撮った。そして、与那国についてまとめた最初の一冊『与那国島図誌』のなかで「現今大阪商船の基隆・那覇間を往復する汽船が二ヶ月目に一回位は寄港することになっているが、それもしかし仲々あてにはなり兼ねる。従って島民の船舶を待つこと甚だ切なるものがある」
と指摘している。遠来の客、本山の目前で、群れ集った人たちは、おしゃべりをしながら気永く磯辺にうづくまり、何のかかわりもなさそうな、そのイレネーの人々の上陸を待ちわびていたのだった。
 戦後、わたしの幼少期に入船を知らせるのは、汽笛に変わった。なんたの港をめざして浦野あたりから汽笛を鳴らし続ける。踊り上がるように駈けながら、港に集った人々のうづまきの中にわたしもいた。なにかめあてがあるわけではなかったが、いつもそうなった。
 そのうちに、船から航空機が主役の時代がきた。イレネーの声も、なんた浜の情緒も消えたが、あの遠目番人のいた「だてぃくちでぃ」は、いまでは祭の拝所となっている。毎年、旧暦八月第一のひのえねの日、風化のあとのいちじるしい、昔ながらの石の羅針盤を前に、海運業者たちが航海の安全を祈る。これはかつての番小屋造り作業の日「だてぃく くぅい」を記念している。


>米城惠著『よみがえるドゥナン』
>与那国島の特産品・おみやげ・本

 


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