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八重山カタログ「ミシャグ」

文 前原直子
八重山コラム「ミシャグ」

 ミシャグ(またはミシィ)はミキ(神酒)の転訛である。沖縄本島ではウンサク、ウンチャク、宮古ではンキ、ンクなどという。米、粟、芋から作る。
 八重山では大正から昭和初期頃まで、女性たちが粟や米を噛んで吐き出し、醗酵させてミシャグを作っていた。それをカン(噛み)ミシと呼んだ。カンミシの習俗は、日本本土では古代、沖縄本島では廃藩置県(1879)前後に廃止されていったという。これまでの研究により、カンミシは古代中国・日本はもとより、台湾・メラネシア・ミクロネシア・ポリネシア・南アメリカの原住民の間に広く分布していたこと、酒を噛みつくるのが主として女性であったこと等が明らかになっている。

登野城のミシャグ

 旧暦6月下旬はプーリィ(豊年祭)の季節。五穀豊穣を神に感謝し、来年のさらなる豊作を祈るまつりである。神ツカサの祈願が中心となり、その際欠かせない供物の一つとして、ミシャグ―神に捧げる新穀によって作られた神酒が登場する。白くとろりとしたミシャグはその名称をはじめ、作り方も味も用途も、各村で微妙に違う。変化に富む八重山のなかでも、今回は登野城のミシャグを取り上げよう。

昔は噛んでミシを作った

 登野城の70代前半の女性から、「15歳頃、歯が痛くなるほど噛んだ」というカンミシの話を聞いたことがある。戦後まで行われていたというカンミシ。明治生まれの宮城文は、その作り方をこう詳しく紹介している。「ミシカンピトゥ(神酒噛む人)といって歯の丈夫な若い健康な女を選んだ。彼女達は塩で歯を磨き、髪を整え鉢巻をし、清潔な着物を着、袖まくりして作業に取り掛かる。材料は固めに炊いた粳米、水につけた生米、そして水。全部噛み吐き出し終ったら、水底の一旦噛んだ飯を再度噛んだ。それを石臼で細かくひき、カメに入れて蓋をしておく。2日目はバガ(若)ミシといって甘味が強く、3日目が最も美味しい」。
 現在、ミシャグを作るのは主に役員の仕事である。新米の御飯を炊いて冷やし、水を加えてミキサーでひく。水につけた生米も同時にひいて加える。これに砂糖や水を混ぜて密封し、3日くらいで出来上がる。作り方は変化したものの、豊穣のシンボルという意味で重要なのは今も変わらず、その作業は慎重に行われている。

ミシャグパーシィの古謡

 豊年祭では、対座した給士と客がミシャグを持ち上げ、ゆっくり左右に上げ下ろしながら歌を謡う光景が見られる。ミシャグを謡い囃すことで穀霊の更新をうながす祭儀である。その歌のなかに、「ニウスイヌ ウミシャグ イ、ハヤシバドゥ、ユヤナウル(粟で作ったこの御神酒を讃え囃しますと、来夏世はきっと豊年です)」というくだりがある。ニウスイとは粟の意。稲ではなく粟が登場することから、郷土研究家の牧野氏は、八重山において古代作物の中心が粟であったと推測している。粟は焼畑時代からの伝統深い作物であったが、稲の伝来に伴い、その中心たる地位を譲ったのだという。だとしたら、ミシャグパーシィは粟作時代からの古い歴史ある祭儀ということになる。長い間保存されてきたもの、社会変化に呼応し変形してきたもの、それらを包含して今年のミシャグパーシィに至る。これから先、その形態や信仰のあり方はどう変わりゆくのだろうか。

(情報やいま2001年8月号より)

 


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