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トップ  >  コラムちゃんぷる〜  >  与那国島  >  突き船の下をダイビング|与那国島コラムちゃんぷる〜

突き船の下をダイビング

文=米城惠

― 何隻もぐったか、腕前をきそう ―

 人は、どのように泳ぎを覚えるのだろうか。
 筆者の幼少期の昭和二〇年代、腕白たちにはナンタ浜が海水浴の格好の舞台だった。渚で海に慣れ、身の丈を越えるところでも泳げるようになると、場所をナンタ港に移し、泳ぎ手として一人前になった自信が持てたのだった。いまは消失してしまったしき浜寄りに高さ二〇メートルほどの飛び込み台があり、そこから飛び込めるようになった者は、台上で得意そうであった。徐々に泳ぎを覚えてゆく︱少くとも祖納の場合、そうだった。
 ところが、同じ与那国でも、久部良だと、違う。たとえば、町の長寿福祉課長をつとめる上地常夫さん(五〇)は「先輩に海に投げこまれて覚えました」という。さすが、「うみんちゅ」(海人)の町、とうなずかせるような入門のさせ方である。
 いまも住む生家の前は久部良港、ナーマ浜とつづく海がひろがっている。学校からかえり、芋掘りの手伝いなどをすませると、海にとびこんだ。カジキに「つきんぼう」(突き棒)と呼ばれる銛を打ち込んで漁をする突き棒漁業の全盛期で、港には漁から帰った突き船やくり舟が舫(もや)っていた。
 同年代の子どもたちにとって、もっぱら遊びは、泳ぐことだった。いま考えると、港の中で泳ぐ自体危険に思うが、泳ぎが上達するにつれ、停泊中の突き船の下をもぐりはじめた。一隻もぐれることは登竜門、二、三隻とダイビングする達者もいた。
 写真の撮られたのは一九六二(昭和三七)年。上地さんの生まれる二年前の光景だが、同時代だけに、彼の幼少期の話の場所の雰囲気を伝えて、じゅうぶんである。
 撮影者の永吉徹氏は埼玉県で健在である。
そのころ、日本蛾類学会の会員で、絶滅の危機にあるヨナクニサンの分布調査に訪れていた。蛹が一個三セントで買い上げれられている現状に、このままでは絶滅は時間の問題と捉えた永吉氏は、町役場に保護対策を訴える。翌六三年、ヨナクニサンの採集を禁止する条例が制定され、積極的保護がとられるようになった。そんな合い間のスナップである。
 日本最西端之地の碑のある西崎、そして突き船の列を背景に、坊主頭が点々と海面に浮かんでいる。撮影日は七月一一日。真夏である。


>米城惠著『よみがえるドゥナン』
>与那国島の特産品・おみやげ・本

 


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