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八重山カタログ「アンガマ面」

八重山コラム「アンガマ面」

メモ

 向かって左が翁(ウシュマイ)、右が媼(ンミー)。2つの面の違いに、大きさ、目、鼻、口の形、頭の結い方などが挙げられる。ンミーの面の方が若干大きい。ンミーの口元に歯がないのは、女性神に望ましく子だくさんで、子どもを産む代わりに歯が順に抜け落ちたからだという説がある。
 面に使われる材はデイゴやハスノハギリで、髪には麻や龍舌ランの繊維が用いられる。現在八重山でアンガマ面を作る代表的な職人は2人だ。
 アンガマ踊りは、浄土宗の念仏踊りと先祖崇拝が結び付いたものと考えられる。仮面を付け仮装をし、裏声で話すのはあの世から来た先祖神であるからだ。仮面は木製のものに限らず、字によっては昔は竹の皮や手ぬぐいを用いたようだ。

150年間受け継いできた祖先崇拝の心

 石垣市字登野城のアンガマ面は伝わること実に150年。左の面は道光24年(1844)忠順氏黒島良慶の17才の時の傑作だと伝えられる。(牧野清著『登野城村の歴史と民俗』より)字登野城では147年間このアンガマ面を使い続けてきたが、これ以上の損傷を防ぐため、同字在住の新城弘志氏がこれをモデルに新しい面を作り、現在はそれが使われている。古いアンガマ面は平成3年に八重山博物館に永久寄託され、大切に保管されている。
 字登野城の人々は、毎年盆の翌日の獅子祭りの日にアンガマ面を塩水で蒸して保存してきたらしい。デイゴでできたこの面が、約150年前の作とは信じ難いほどきれいな状態を保っているのは、人々が年月を経て大切に受け継いできた証である。
 この古いアンガマ面の眉や皺は白く、口や目もと、鼻は赤い。チョークや食紅での色付けの名残だ。
 またこの面の頭の部分には、シュロで編まれた細かい網が付いている。以前はこれに麻の髪の毛が編み込まれていたのが、時と共に抜け落ちたのである。一方、現在目にするアンガマ面の多くの髪は面の縁に沿っており、髪の部分の奥行きはない。これは踊りに使うという用途に加え、面を床の間などに飾りやすいように平面的に作ってあるからだ。

広がるアンガマ面

 その昔、アンガマ面はたいへん数が少なく、精霊として崇め、踊りに使用するためのものだった。今では家の新築などの祝い事に、また島を離れて暮らす八重山出身者への贈り物にと引っ張りだこで、八重山内外でアンガマ面を床間に飾る家も増えた。遠くはアメリカに渡った面もあるという。おみやげとしても人気で、ミニチュアの壁掛けもある。ポスターやTシャツのモチーフとしても使われており、アンガマ面を目にする機会はますます増えると思われる。
 150年前から字登野城に受け継がれるアンガマ面、それを支える人々の心は、更に歴史を重ねていくことだろう。それとともに、アンガマ面への親しみ方は、膨大な広がりを見せている。
 マルタ工芸の田場由盛さんは、アンガマ面作りを生業としている。26才の時、上記の登野城のアンガマ面に対面し心を打たれたのがきっかけだった。10代の時マラリアで母を亡くし、自身もマラリアを患った田場さんは、平和への願いを込めてアンガマ面を彫り続けているという。

(情報やいま1998年8月号より)

 


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