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人魚と津波

米屋陽一(日本民話の会会員)
石垣島民話「人魚と津波」

 白保というところはですねぇ、西暦1771年、日本年号では明和8年に石垣島に大津波があってよ、全部流されてね。

 わたくしは、むかしからのここの土人です。というのは、わたくしの父方がね、命拾いした、あのヨナモリに登ってね、命拾いした。またね、母方はよ、今のうしろの北側よ、そこにトーヤのターヤシキっていうの、10の田んぼというのがありますがねぇ、あちらに田んぼを作ってね、おられたそうだがよ。

 このむかしの人魚の話なんか、おわかりかわかりませんがよ。このわたくしなんかの母方のトーヤといううしろのね、野原でよ、田んぼ作ってね、いらっしゃるとこに、この網を持っていってね、この野原崎で、ここでよ、網で魚を取ってたところがよ、大きなジュゴン、人魚がね、網にかかったそうだ。

 それでね、この人魚が化けてね、

 「わたくしは竜宮からよ、来たんだが、あなたがたに殺されて、食べられるようになっておりますが、わたくしは竜宮に帰りたいんだがよ、わたくしを許してくれんか」

 といってね。わたくしの母方のトーヤの人にゆうたらよ、

 「これでいい」

 といって、放したところね、

 「ああ、ありがとう、わたくしは命拾いができてね、この3月10日(旧暦)か、人魚がこの石垣島に大津波が来るから、山に登ってよ、難をまぬがれる」

 ということですよ。

 わたくしの母方はね、人魚の話を聞いて山に登ってね、難をまぬがれて、あれから白保にもどってきて、多宇(たう)という家をね、今も子孫が繁栄しております。

 だから、わたくしは、父方、母方、むかしからの白保の土人です。あのとき、白保ではねぇ、残ったのはわずか十何名ですよ、ヨナモリに登ってね。また、トーヤの人があちらに田んぼを作ってね、人魚の話を聞いて山に登ってね、十何名しか残っておりませんでしたから。あのとき、波照間から移民はね、400名あまりよ、移民をよこしてね、白保部落が今もこんなに繁盛しております。

【ききみみ】
「明和の大津波」=1771(明和8)年3月10日(旧暦)の大地震による津波。白保村1574名中、1546名死亡、28名生存と記録されています。
「明和の大津波」伝承は、石垣島のあちこちで聞くことができます。
これまでに聞いた「人魚と津波」のハナシは、壊滅状態になった白保村への移住者側からの伝承でした。
このハナシは、人魚を助けた人の家にまつわるものです。
山に登って助かった人の側からの伝承です。
「明和の大津波」の伝承世界とはなにか。
それを考えるときのヒントが、このハナシには含まれているような気がします。


>熊谷溢夫著『美しい自然があるからみんな元気で生きられる。』
>熊谷溢夫の切り絵・ポストカード


(情報やいま2001年3月号より)

 


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