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トップ  >  はいの晄の八重山  >  光ばあちゃんの昔がたり 第1話|はいの晄の八重山

光ばあちゃんの昔がたり 第1話

 本名光さんのことをざっと紹介しておいたほうが、これから何回かに分けて紹介する「昔語り」を理解する手助けになってくれると思う。で、ちょうどいい具合に、本誌1994年9月号の「八重山人の肖像」に本名光さんが登場しているので、ちょっと長くなるが転載させていただいてから、始めよう。

 本名商店の奥さん、大川村のツカサ、革新の婦人部長、古謡伝承者……と本名光さんに冠せられてきた代名詞は多いし、その行動力は、竹を割ったような気性とともにつとに有名である。
 ぐずぐずするのは大嫌い、はっきりしないのも陰でこそこそするのも大嫌い、という光さんに話をうかがうというので最初のうちちょっと緊張したが、すぐにその表情豊かでユーモアを散りばめた話術に引き込まれて、時の経つのを忘れたほどである。
 話をうかがいながら感じていたのは、地域のあらゆる文化がそのちいさな体の中に、はちきれんばかりに詰まっているなあ、ということである。「八重山の宝ですよ」と崎山直さんはおっしゃったが、まさにその通り。
 明治44年、大川のマフタネー(4号線より北の、山側のほう)に生まれ、近所で「一番のヒンスー(貧乏)だった」本名家に嫁いで、寝る間も惜しんで働いた。早朝の豆腐作り、野良仕事、深夜に及ぶ縄綯い作業、豚や牛馬の世話……。
 「働くことを嫌だと思ったことは一度もないね」と笑う。
 一番の楽しみは行事と古謡。数日前から身を清めて準備にかかるほど伝統行事を大切にしてきた。また、ユイマールに誘われると「(古謡をよく知っている)誰それは行くか」と訪ねて返事したし、雨の日は糸紡ぎを手伝いながら姑から謡を習った。野良帰りのあちこちから流れてくるトゥバラーマ歌の掛合をいまでも時折思い出したりするという。
 去年のトゥバラーマ大会で光さんの歌詞が第一位に選ばれた。次の歌である。
 「知(しぃ)さん道ば  しさせーるゆむんざよー 思(うむ)ん肝 思ーせる  やしぃんざぬぷりむぬよー」

第1話 台湾での女中奉公
「琉球人って言って…、あんなところでもウーさりアーさりして働かんとね」

 当時は、台湾に行かなかったら「後生も通らない」というくらいの時代だったからね。フッチャ(長男兄)に本名家の嫁に行けと言われていた けど、でも私はまだ若いし、台湾も見てみたいし、だから台湾に行ったわけさ。

八重山コラム「光ばあちゃんの昔がたり」  台湾は台北で女中奉公した。「篭の鳥」というのはこんなものかねぇ、と思ったね。

 奥さん連中が集まって「琉球人はダメねぇ、なんとかかんとか言っては暇もらうから」と言っているのを炊事場で聞いてから、一度も暇を貰わずに働いてきた。

 娘さんがふたりいたねえ。「お嬢さん」と呼んだ。名前なんかで呼んだら、すぐ目ぇ光られるから。苦労したよ。

 朝起きて掃除して…、まず第一に便所の掃除。女はよ、便所の掃除を上等にする人がきれいな子どもを産むと言われたさ、だから便所は念を入れてきれいにしたよ。

 また、あるとき呼ばれたから何かねーと行ったら、いくら子どもの物であっても女中の洗濯物と一緒に干してはいけない、と言われた。アガヤー、泣かれたさ。仕方がないから、トイレの後ろに竿をかけて自分の物はそこに干した。

 旦那さんは総督府に勤めておったねえ。奥さん? なにもしないさあ。八重山に障子なんかあるって?ら! 「お掃除済んだねえ」「はい」。そしたら歩きながら障子の桟を指で、コレよ。きれいにできているか確かめるわけさ。そして、「ここ、お掃除まだでしょ、忘れたんでしょ」「どうもすみません」?。やったけどと思いながらも、そう言われると、アガヤーもう一度やらんといかんさ。

 琉球人、琉球人って言って…、あんなところでもウーさりアーさりしても働かんとね。最初はファムレー(子守)からはじまった。月8円だった。すぐに12円になった。10円は八重山に仕送り、2円が自分の小遣いだったけど、なかなか外出もできないし、だから何かを買ったりすることもあまりなかった。仕事をてきぱきと片づけて自分の部屋でちょっと休むくらいかねぇ、自由にできたのは。

 台湾は西も東もわからんさ。自分の家と雑貨屋と市場だけがわかる。そこを行ったり来たりだけ。一生懸命誉められようと思ってさ、暇なんかもらえなかったよ。

 でもさ、八重山出身の男が台湾で巡査しておったよ。琉球人とはいっても、巡査だからね。刀さげて、服装から違うでしょ、奥さんなんかも驚くわけさ。相談してからうまく暇をつくるようにしてたわけさ。「お宅の女中の誰々さんの知り合いが事故にあって入院中だからすぐに寄越して下さい」とか。

 ウチのとこにも来たらねーと思っていたら、「ごめんください」とその人が来たわけさ。口に指を宛ててシーッ!とやってよ、ははーと思ったけど、通したさ。そしたら「おみつー」と奥さんが呼んで「あなたのところにお兄さんがいるの」と聞くから、はい、と応えると、「お兄さんが怪我で入院しているらしいから、でも昼間は忙しいから、早く仕事を済まして夕方にでも見舞いに行きなさい」というわけさ。

 「はい、ありがとうございます」(笑)

 コレが来るといつも台北橋。台北橋に行ったら、こんなにして集めた女がいっぱい。夜が明けるまで歌ったり踊ったり…。この人は三線も弾けるから、楽しかったよ。アレだけが楽しみだったね。私のところには3回来たよ。他はどんな口実だったかねぇ。

 ある日、台所の窓から私を呼ぶ声。「ピシィ、ピシィ!」 ピシィというのは家の人が私を呼ぶときのワラビナー(童名)で、外ではカナシーと呼ばれていたさ。

 見ると、真っ黒い顔のナカッチャ(次兄)。「なにしに来たの」と言ったら、「わぬざぁ、さぁぬはぁ(お前を連れにさぁ)」と。腹立っていたんでしょうね。私の性質を良く知っているから、手紙くらいでは帰ってこないと思ったんでしょう。結婚式の準備をしておいてから、舟を雇って台湾まで私を連れに来ているわけさあ。

 


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