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トップ  >  はいの晄の八重山  >  光ばぁちゃんの昔がたり 第3話|はいの晄の八重山

光ばあちゃんの昔がたり 第3話

第3話 母のことなど
「謡しょうるかぁ、バア、ブドゥルさあ」と言ったら、じゅんに唄ってるさあ、また。

 私は小さいころビョウジャー(病弱)で、このばあちゃんに見せたら元気になるか、あのばあちゃんに見せたら良くなるかといってあちこち連れて行かれたよ。

 誰のおかげだったか、そのうち元気になったけど、名蔵のばあちゃんを訪ねたときのことを憶えているよ。

 わたし、わかるよ、5つにもなっているんだからわかるさ。

 足はタラタラーして、首はガクガクして、母親におんぶされてあの家に着いたら、母親は頭にカミ(乗せ)ていた重箱を下ろして…、おにぎりが詰まっていたさ。

 「このご馳走、おうちに持ってかえってみんなにくれればいいのに。もったいないなあ、ウチひとりぐらい死なしても、残り5人はいるのに」と思って…。

 家に帰ってきて母親にそう言ったら、「アッピャー、生れーる者ぅ皆、実ぃなさばどぅやる」と。

 きょうまで忘れられんさ、そのときいった言葉はよ。

 ふたつ下の妹につかまってちょくちょく外に出た。

 妹が足を早めると、わたし、すぐ転ぶから、そんなときは妹を叩いたさあ。

 「アッパ(お母さん)、これが叩くから私はもうつれていかない」

 とよく妹は言っていたよ。

 わたしのお腹はアウザ(蛙)みたいに脹れてさ…。

 妹が生まれる前に父は亡くなって、妹はカーレー、カーレーとが呼ばれていたよ。

 お父さんの「代わり」ということさ。

 私のこと、近所の人はわかるけど、遠くから来る人が

 「アッガヤー、クヤマー(母の名)、かんじぬ者ん居りだれーそんがどぅ、うったー2人、代ーりひーだかー」

 (こんな者がいるんだったら、この2人代わってくれてあったらねえ)

 と言うわけさ。

 私は聞いているけど、そのときは意味が分からなかったよ。

 ユカラピトゥ(士族)の生りというのはあるのかねえ。

 前盛のばあちゃん(母)は言葉から違ったね。

 自分よりウトゥドゥ(年下)でもウーさりアーさりしてよ、あい、あんな年下にもあんなにがおる? と言うとよ、

 「アビャー、我んだー、あーし、つかなれーきーるんから変わらりんめー、ピシィ」

 (アビャー、あんなに育ってきたからいまさら変われないさあ、ピシィ)

 おっとりしていて上品だった。

 でも残り(子どもたち)は、そんなではないさ。

 バンなーし。(私みたいに)

 わたし小さいでしょ、運動会のときよ、いちばんビリに並ぶ。

 だけどよ、小さいから恥ずかしいからやらんとか、私はこんなことはない。

 恥ずかしいと思ったことは一度もない。今日まぎーそうさ。

 5、6年になってよ、ダンスなんかやるでしょ、私よ、小さいからグー(相手)がいない。

 グーいないでもよ、つかまえているようにしてよ、一人でイチ、ニー、サン、シー、とやったさ。

 みんな笑っているはずだけど、わたし平気。なーんにも。

 小さいからといって何も悪いわけではない。

 貧乏しておっても、人のものを羨ましいと思ったこともない。

 ヨーシと思って頑張ってきたねえ。よーやってきたよ。

 神様のおかげか病気もしないのに。

 兄たちふたりは小学6年で卒業したけど、私はどんなにしても高等科をでたい、一番下の妹を学校に連れて、出たり出なかったりでもいいから高等科を出たいと頑張って、私からは高等科までいかしてもらったさ。

 兄貴ふたりは借金のためにそれぞれ余所の家に使われて可哀想であったよ。

 着物は1枚しかないでしょ、妹を背負ったら汗をかくでしょ、洗ったら着替えがないから朝に竈の火で乾かしてよ、それくらい貧乏であったよ。

 だから私がもったいない、もったいないといって何でも取って置くのは無理もないさ。

 「ばあちゃんはいつももったいない、もったいないばっかり」

 と孫は言うけど、何でも捨てられないねえ。

 母親はピヨウ(日雇い)に行かんとならんから、私はいつも妹を学校に連れていった。

 いじわるをする友だちもいてね、その友だちはウヤキヤー(金持ち)で、母親がまたあの家の仕事をよくやっていたのよ。

 学校からの帰り私はその家に行って母親のテマ(手間)米1升をもらうさ。

 それを貰って家に帰り、米を搗いて夕食の準備をするわけ。

 母親がピヨウしていてどうだこうだ、ピシィはいつも家に米をもらいにくると、あの人が学校で言いふらした。

 で、妹もいじめる。

 母が仕事ができなくなったら大変だからと私は我慢していたが、だんだん面白くなくなって学校に行かなくなった。

 先生が家にいらっしゃったから、私は正直に、妹を学校に連れていかないと母親が働きに出れない。

 ところが学校では妹をいじめる人がいるので行かない、と言った。

 そしたらその翌日から「春ちゃん、春ちゃん」と言って可愛がってくれて、あめ玉をくれたり何したり…。そんなこともあったよ。

 今でも嫁の姉さん(兄嫁)は言うさ。

 嫁入りしてまだ一度もばあちゃん(母)の着物洗ったことがないと。

 昔は瓶の破片が盥がわり。

 ばあちゃんはそこに洗濯物を漬けておいて、自分の物はみんな自分で洗濯したと。

 ばあちゃんはユカラピトゥの子どもさあ。

 物言葉からわかりどぅうる。

 4人姉妹のいちばん最後に生まれて、上からつぎつぎに嫁に行って、隣近所の人はみんな言ったって。

 「いちばん上の子どもに婿を取らせればいいのに、そしたら楽もできるのに。」

 でも、そのお母さんは「いや、クリばどぅなる」と言ったって。

 自分の子どものことだからよく知っていたんじゃないの。

 前盛のばあちゃん(母)は92まで生きた。

 1週間くらい寝込んで死んださ。

 病院にもいかないでさ。

 何日前だったかねえ、私に、

 「2番座のタンスからバァ(私の)着物出しみーり」

 と言うから、出してきたら、襦袢も、と。

 「ワァ着しみーり」(おまえ着てごらん)

 「とうとう、長さもちょうどいいくらい。おーばなーどぅ着物や着す」

 襦袢を着て着物を着て、その上からもうひとつ紋付きを羽織ったらもうこれでいいと。

 これ以上着てはいけないと。

 「謡しょうるかぁ、バァ、ブドゥルさあ」(謡うたったら私が踊ってもいいよ)

 と言ったら、じゅんに(本当に)唄ってるさあ、また。

 「アビャー」と言って座ろーりて、「鷲ぬ鳥」を唄ってよ、私が踊って……。

 


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