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トップ  >  はいの晄の八重山  >  光ばぁちゃんの昔がたり 第4話|はいの晄の八重山

光ばあちゃんの昔がたり 第4話

第4話 松助との結婚
わたし、一夜和装もしない、髪も自分で結って、着物も他人から借りて、走っていったよ……

 仏壇に線香立てながら、オヤジ(松助)に言うわけよ。

 どんな貧乏な家に嫁にきて、どんなに苦労したか、感謝の気持ちがあったら、長命つけさせて健康あらしてくれ、と。

 孫がね、「ばあちゃん写真に向かってなに言っているわけ?」と。

 ほんとに言いたくもなるわけよ。

 「じいちゃん早く死んで損してるさあ。面白いテレビもある、新しい家も造って、あんた損してるさあって言ってるさあ」と返事するよ。

 「ねえ、損よね」と孫も答えるさ。

 松助の父親は、松助が生まれてすぐに死んだというから、私はわからんさ。

 私の実家は本名ヤー(松助の生家)のすぐ隣近所、グスク(石垣)越しに話ができるくらいだから田草取りなんかユイマールでいっしょにやったりするくらいだった。

 だから、本名ヤーはピンスー(貧乏)だと小さいときからわかるさ。

 私の友だちなんか、難儀するから行くな、行くなとどれだけ言ったから。

 うちの兄貴だからが、助けてこい、と嫁に行かすよ。

 子どもが生まれたら多くの人はとうちゃんと呼ぶでしょ、でも私は松助を「フッチャ」と呼んでた。

 昔からシンヤー・マンヤー(近所)だったからよ、みんなフンナヤー(本名家)のフッチャと呼んでた。

 うちの長男兄貴がよ、世の中にこれ以上の男はいないとあんなに可愛がったさ。

 だから、助けてあげよう、と。

 「なんで、他にもいるでない」と言ったけど、「ワヌ(おまえ)やらばどぅ成る」と。

 「バア(私)ん加勢すん」と、そう言ったよ、うちの兄貴は。

 「ウヤキヤー(金持ち)に行かして何不自由なく暮らしたらあんたの値打ちが何もなくなる。あんたはね、本名ヤーに行って、ふたりで一生懸命頑張って家を興しなさい。あんたをウヤキヤーに行かしたら誰も上等と言う人いない。ウヤキヤーだったらどんな人でも、ただ座っていてもつとまるから」と。

 ほんとうに兄貴もよく言ったね。

 よその親がは(本名ヤーに)誰も嫁にやらないよ。

 当時はもう友だちはみんな台湾。

 伊是名さんが手伝ってくれて、その人が「今よ、一夜和装というのが流行っているけど、一夜和装する?」と言うわけさ。

 「あいノブちゃん、のうしぬ家ーかいバナー行るで思いれ? んまかい一夜和装して行りなーみーり、明日から着す物ぉ無えなーてぃ、のーやかぬばっかい者」

 (どんな家に嫁に行くと思ってる? そこに一夜和装して行ってごらん、明日からは着る物無くて、みんなの笑い者になるだけさ)

 わたし、一夜和装もしない、髪も自分で結って、着物も他人から借りて、走っていったよ。

 写真も撮らなかった。簡単ぐわぁよ。すぐ行った。

 あんなものいらん、いらんて言って。

 式の翌日。台所の近くに雨戸を倒して、その上に道具を洗っては置き、洗っては置きしていたよ。

 そしたら近所の人が次ぎ次ぎ来て、

 「是れーバァ物どぅら(これは私の物)、是れーバァ物どぅら」と持って行くでしょ。ハッハ。

 家の中にあってもよ、「是れー我ん家の障子」「是れー我ん家の筵」とみんな持っていったら、何も残らんさ。

 そのときのうちの人の顔見て、泣かれたねえ。

 私にどういうふうに顔を会わすかなあという気持ちがワヤワヤーと現れている。

 私はピンスー家とわかりながら来ているから気にならんけどよ、家の中がからっぽになって、私の持ってきた20円の赤い箪笥だけが座っているわけでしょ。

 その時から、腹の中はガンっと縄で縛って、やってきた。

 ピンスー家なのに結婚式のお金はどうしたのかなーと不思議だったわけよ。

 兄貴は早くヨーイ(祝い)しないと私が逃げていくとわかっているわけよ。

 ある家の大きなムエー(頼母子)に入って、お金が必要だからといちばん最初に取って、「是りさーりヨーイしぃ」と言って松助に渡したらしいのよ。

 式の翌日。道具を片づけおわったころ、おいで、というから兄貴の家に行った。

 そしたら、「あんじどぅやりきー送り持ちよー」(そういうわけだから頼母子の送り持てよ)って(笑)。良い方法だね。

 こんなにして式もやったんだねーと思って、ヨシ!と思って、このことを松助に言っても可哀想だからよ、私、なんとも言わないで「送り」持ったよ。

 送り持って、終わって、今になってる。

 私が小さいときに父が死んだので、長男兄貴は親父がわりのようなものであったよ。

 他人を誉めるような人ではなかったけど、私のことはよう誉めたらしい。

 「我ん家のピシー真似すー方居らぬらー」と言って歩いたらしい。

 「是れー珍し人間」と。

 それくらいやったのに、また。

 貧乏だったから質屋もよく通ったねえ。

 質屋は、万世館の東側に、道に面してあって(他にももう1か所あったよ)、大和ものの着物より沖縄ものの着物のほうをよくとった。

 妹は沖縄ものを多く持っていたので、アレの着物も借りて、だから、妹の着物は質屋と家を往ったり来たり。助かったね。

 下駄なんかよ、大掃除があるでしょ、「ワッチャぬフンダヌミー、ばあ掻からー」(あんたん家の床下、私が掃除しようね)と言って、親戚の床下の掃除をするわけさ。

 たいがい下駄が出てくる。

 それを貰って、洗って干して、あだなす(アダンの気根)で鼻緒を作って…上等な下駄になる。

 隣のおばさんなんかがよく言っていたらしいけどよ、

 「でぃ、うったー二人よ、のーんがさ企ぬみて喧嘩むーかーらー」

 (あの二人、なんとかして喧嘩させてみようよ)

 これくらいであったよ。

 喧嘩のようなことはしたこともないし、指でちょんと突かれたこともなかったよ。

 村山のおばさんがよ、「わだぁ、のーで喧嘩さーぬ」(あんたなんか、なんで喧嘩しないの)と私に言ったけど、私は仕事も一生懸命やりながら婦人会活動などもやってるでしょ、あの人は、「からだ大丈夫か」と心配していたくらいだったさ。優しい人だったね。

 むかし、兄貴たちが着物借りてきて写真撮したわけさ。

 ちょうどいい、私たちもと…。

 私の実家の東の縁側で、

 「早くなー撮らなーかー逃んぎーそんが逃んぎーそんが」と松助を掴んでよ、写真撮したさ。

 着物を借りて、裸足で。結婚写真もないのに、して。

 貧乏だったけど、今、これでよかったのかねえ、と思っている。

 貧乏で、一生懸命頑張ったから他人の2倍も生きたような気がするさあ。

 


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